1ページ目から読む
3/3ページ目

『美少女プロレス~』はヒットを記録、各所から高評価を得た那須は、翌年に一般映画の監督を務める。きうちかずひろの人気不良漫画を原作とした、そこかしこにパンチやキック、ケンカアクションがあふれる『ビー・バップ・ハイスクール』(85年)である。

 高校生を演じる役者たちは演技未経験者が多かったが、那須は彼らにアクション・シーンを演じさせた。この映画のアクション担当に招聘されたのは高瀬。悩んだ末、俳優の学ランとボンタンの下に野球のプロテクターとレガースを仕込ませた。当たっても仕方がないがケガをさせないようにしよう、という苦肉の策だったが、これが逆に迫力を呼んだ。

『ビー・バップ~』は人気シリーズとなり、その後、数多制作される「ヤンキー映画」のスタイルを確立する一大ムーブメントとなった。那須が言った「オレたちで新しいアクションを作ろうぜ」という言葉が、実際のものとなったのである。

ADVERTISEMENT

『SHOGUN 将軍』までつながるアクションの系譜

 その後那須は『紳士同盟』(86年)など数々の話題作を作るが、2005年に肝臓がんのため53歳で早世した。はからずも遺作となったのは、船木誠勝がタイガーマスクをかぶる『真説 タイガーマスク』(05年)だった。

 一方の高瀬は人気作「あぶない刑事」シリーズやフランス映画『WASABI』(01年)などのアクションを担当。彼が主宰していた高瀬道場は、現在もエミー賞を受賞した『SHOGUN 将軍』(24年)に携わるなど、幅広い活躍をみせている。

 制作現場の仕事と並行して、高瀬はアクションの地位向上を目指した活動を行っていた。2020年に没した彼が、常々語っていたことがある。

「アクションは観客を魅了する、映画の華なんです。なのに日本ではアクションに時間を割かない。海外では俳優さんたちにじっくりとトレーニングをさせ、準備に時間をかける。アクションが作品に及ぼす重要性をわかっているからです。海外並みに待遇が改善されれば、日本のアクションはもっと高みを目指せる──」

『極悪女王』は長与千種がプロレススーパーバイザーとして携わり、ゆりやんレトリィバァ、唐田えりか、剛力彩芽といった俳優陣が身体作りから長い期間をかけて準備を行ったことが話題となっている。あの迫力をもたらしたのは、Netflixの入念な製作体制に一因があることは間違いない。そして、この作品のヒットが、今後の日本の映像作品に少なからぬ影響を与えることも。

10キロ近く増量した唐田えりか

 女子プロレス作品が、日本のアクションに新しい風を呼んだ――。誰かが40年後に『極悪女王』を振り返って、そんなことを言う日が来るのかもしれない。