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 卓上の電話が鳴ったのは、午前10時少し前だった。交換手は「自衛隊中央病院から外線で、科捜研の毒物担当者を指定している」と告げた。代わってもらうと、電話をかけてきたのは医官だった。

「現場と被害者の状況をテレビで見ていますが、サリンの症状に似ていると思います」

 驚いた。自衛隊は凄いと改めて思った。とっさに、

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「いま、その可能性も含めて検査しています。ありがとうございます」

 と答えた。また電話が鳴った。交換手が「110番通報がたくさん来て困っているので、専門的な内容はこちらに繋いでもいいか」と訊いてきた。

被害者が次々に運び込まれ…「処置に困っています」

「いいです。こちらで対応します」

 と答えて繋いでもらうと、今度は聖路加国際病院の医師だった。被害者が次々に運び込まれて大変な状況が、背後の音声で伝わってきた。

「原因の物質が何か、わかっていたら教えてください。処置に困っています」

 人の命がかかっている。責任は自分で負うと決めた。

「縮瞳は起きてますか」

「起きてます」

「有機リン系の毒物として対応してください。PAM、アトロピンはありますか。二次被害にも気をつけてください」

 PAMもアトロピンも、有機リン剤中毒の解毒剤だ。サリンだとはっきり言えないが、感じ取ってくれればと祈った。落ち着かない気持ちで手の空いていた自分が、これらの問い合わせに対応できたことは、逆に幸運に思った。

科捜研ではその後の鑑定をストップ

 2つ目の検査結果が出て報告の準備が整ったときは、ゆうに10時を過ぎていた。警視総監の下、緊急会議が10時から始まっており、報告はすでに後手に回っていた。

 11時、寺尾正大捜査一課長の記者会見で、築地駅構内の車両の床面から採取した物質がサリンであることが広報された。

 科捜研では危険性を考慮して、その後の鑑定はストップとなった。それでも資料は持ち込まれる。床の液体を拭き取ったモップやちり取り、衣類などさまざまだった。これらは屋上のプレハブに移して密閉後保管し、不要なものはアルカリで分解・除染した。

写真はイメージ ©iStock.com

 午後になっても鑑定室は混乱していたが、私の頭の中は整理がついていた。将来の公判を考えたとき、現場などからサリンは検出しているが、その被害を受けたという事実をどう証明すればよいのかと考えた。解剖所見は得られるし、状況証拠も得られる。しかし、体内から物質として証明することも考えておくべきではないだろうか。