猛毒サリンを使った無差別テロ「地下鉄サリン事件」からおよそ30年。『警視庁科学捜査官』(文春文庫)より一部を抜粋。著者で科捜研研究員だった服藤恵三氏が取材を受けたNHK「オウム VS. 科捜研 ~地下鉄サリン事件 世紀の逮捕劇~」(新プロジェクトX〜挑戦者たち〜)が10月26日に放送される。本書ではオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)逮捕のためサリン製造の全容解明に尽力した知られざるドラマに迫る。(全4回の4回目/#1、#2、#3より続く)
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化学兵器サリンを生成した土谷正実
そこで、用意していた白紙の束を机に出し、無言のままゆっくりと、サリン生成の工程や実験ノートに記録されていた反応式などを書いていった。全て記憶していたので、その作業を淡々と続けた。
しばらく続けると土谷は目を開け、反応式や科学データを気にし始めた。そして、ある反応式を書き始めたとき、その過程をじっと目で追っていた。私が書き終えた式を見つめながら身体を起こし、もう一度見入ってから天井を見上げたりしていた。
この式は、表紙に「ウパヴァーナ」と記載されたノートに書かれていたもので、ウパヴァーナとは、サリンプラントの建設責任者だったTのホーリーネームだ。Tが土谷からサリンについて教示を受けながらメモしたのがこの反応式だったことが、後にわかった。
それは、文献では見つからなかった反応で、原料の中に四塩化ケイ素があり、中間生成物もガスが主体で反応が進んでいく、非常に特殊な式だった。しかし私は、クシティガルバ棟の冷蔵庫で四塩化ケイ素の褐色薬品瓶を現認していたので、合成実験を行なっていたという確信をすでに持っていた。
自分で考えた合成法だから「なぜ知っているのか」と、土谷はいぶかしく思ったのかもしれない。押収資料を科学的に深く読み込んでいなければ理解できないし、まず目に留まらない内容だったからだ。
土谷は、しばらくすると椅子から腰を上げ、記載した内容全てを覗き込むように見入り始めた。見ては腰を下ろし、目を瞑って天を仰ぐ仕草を繰り返した。その後しばらくして、身体を前後左右に揺らす仕草が加わった。見ると手や指が小刻みに震えている。動揺している様子が、取り調べに素人の私でも見て取れた。
ここで大峯係長が入室し、私は退室するように促された。トイレに向かったが、なかなか尿が出ない。自分では気付かなかったが、極度に緊張していたのだ。すでに午前0時を回っていた。感覚では1時間ぐらいだったが、5時間以上も2人きりで話をし、延々と反応式を書いていたことになる。