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「土谷が落ちましたよ」

 翌日、大峯係長から電話があった。

「土谷が『先生に会いたい。話がある』と言っているんで、来てもらえませんか」

 しかしその日は余裕がなく、そのままになってしまった。5月11日になって、寺尾一課長が言った。

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「土谷が落ちましたよ。『警視庁には凄い人がいる。私がやったことはみんなわかってるんだったら、黙っていてもしょうがない』と言って、喋り始めました」

 土谷は、ウパヴァーナのノートに書かれた反応式について、

「自分で考えて合成してみた。サリンは出来たが、収率が悪くて中間生成物もガスで取り扱いにくかったので、不採用にした。大した内容ではないが、そこまで解明しているのかと思った」

 と語ったという。その日以降、寺尾一課長を経由して、毎日のように土谷の手書き資料が届き始めた。初めは、クシティガルバ棟の見取図。次が、サリン生成の反応式だった。押収資料からすでに解明していた反応式を、土谷が自供して初めて示されたものとして見ているのが、奇妙な感じがした。自分の解析が正解かどうか、答え合わせをしている気分だった。そして、その答えはすべて一致した。

 土谷はさまざまな犯罪の謀議や、現場の実行部隊に参加したことがない。興味もなかったと思われる。科学の知識、すなわち反応式とそれに付随する専門的知識が、彼の自供のすべてだった。自供は、地下鉄で使われたサリンの反応式や生成方法に移っていく。メチルホスホン酸ジフルオライドから生成する最終工程のみで、第7サティアンのプラントとは別の反応式だった。

 土谷の凄いところは、実験器具や装置の設置図まで、記憶だけで詳細に書き示したことだ。取調官は、三ツ口フラスコや滴下ロート、オイルバスやマントルヒーター辺りはまだついて行けるかもしれないが、ジムロート冷却管や分留管、リービッヒ冷却器、さらにアスピレーターやエバポレーターに至っては、何をしゃべっているのか見当もつかないと思われた。ましてや核心部分は、聞いたこともない化学物質名のオンパレードで、それらの有機合成反応式だらけだ。

供述が記憶違いやウソでも…

 ほかの容疑者の自供内容についても、同様だ。科学的な内容を理解できる取調官はほとんどいないと思われ、供述が記憶違いやウソでも、気付くことができない。一歩進んで、被疑者が科学的に不可能な内容をわざと自供し、それを採用してしまえば、裁判で不能犯となってしまい立証ができない。自供内容には、科学的な裏付けが不可欠だった。

 オウム真理教の科学技術省次官だったWという幹部がいた。東京工業大学出身で、サリンプラント第4工程の責任者だった。