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「すみません。嘘をついていました」

 第3工程で生成したメチルホスホン酸ジクロライドから、サリンの直接的な原料となるメチルホスホン酸ジフルオライドを生成するのが第4工程だ。Wは反応タンクを作ったことを認め、原料の投入方法なども全て図に描いていた。その図では、反応タンク下部にある配管を経由して、生成物がその下のタンクへ落ちるようになっていたが、これが虚偽だった。

 プラントでは、生成したジフルオライドを加熱装置で気化させ、タンク上部の冷却装置で液体として回収し、最終第5工程へ運ぶ構造になっていることを、私は現地で確認していた。Wの図にある底部のタンクは、副生成物のNaCl、つまり塩を貯める場所なのだ。自供のままでは、メチルホスホン酸ジフルオライドは生成できないことになってしまう。

 私はWに会い、図と反応式を示して尋ねた。

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「ここに溜まるのは塩じゃないの?」

「いっ。いや、違いますよ」

 そう答えながら、どぎまぎとし始めた様子が感じ取れた。底部のタンクはプラスチック製で、上の配管との間に隙間もある。ジフルオライドはすでに有毒で、空気中の水分にも反応してしまうのだ。

「このポリタンクに入れたら分解してしまうし、危ないでしょう」

 と指摘すると、Wは黙ってしまった。

「気化させて蒸留して、タンク上部の冷却装置で回収するんじゃないの? サンプリングして調べたら、そこからジフルオライドの分解物が出てきたよ」

 科学的事実を一つ一つ指摘すると、もう何も喋らなくなってしまった。

 翌日。

「すみません。嘘をついていました」

 と取調官に事実を自供し始めた。

なぜ化学者が闇に魅かれたのか?

 土谷は、供述内容を私が確認していることを聞かされていた。いつからか、調べ官を介してキャッチボールをしているようになった。それを強く感じたのは、VXの生成反応式が届いたときだ。中間生成物の一部に「カルバミミドイル」という表現が出てくるが、私は当初、違う名称を使っていた。

「そういう言い方はありますが、有機合成をする者は使わない」

 と土谷が言っているという。調べてみると、彼が正しかった。土谷は結局、サリン、VX、イペリットなどの化学兵器、RDXやHMXなどの爆薬、覚せい剤、LSD、メスカリンなどの禁制薬物、その他オウム真理教の製造した化学物質のほとんどすべてを合成し、その方法を確立していた。

 土谷は、私とのキャッチボールを楽しんでいるように感じた。今どのように考えているのか。なぜ化学者が闇に魅かれたのか。確認したいことや聞きたいことが、本当はたくさんあった。