AI技術は生産性向上が期待される一方、悪用、誤用によるサイバー攻撃やインシデント被害などの懸念もあり、なかでも自動運転車については人命が直接的に絡む問題があってか、日本では米国に比べ、解禁に及び腰な状況が続いている。
しかし、慶應義塾大学理工学部教授の栗原聡氏は、100%安全でなくとも社会投入して実際に運用してみる必要があると説く。その主張の根拠はどこにあるのか。ここでは、同氏の著書『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』(角川新書)の一部を抜粋。人とAIが共生する社会について概観する。(全2回の1回目/続きを読む)
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自動運転車で「100%安全」はありえない
ユーザーが自動運転車に乗って移動しているときに、AIの誤認識や運転制御ミスから事故を起こしてしまったとしよう。その自動運転車は自動運転のレベルが3、すなわちハンドルもブレーキもいざというときは人が操作するというレベルだ。当然レベル3以上の自動運転が認可されるためには膨大な学習データに基づく走行テストを行い、不具合が100%発生しないレベルであると認定されることが必要であろうが、現実にはそれは難しい。
地球上のすべての道路の、すべての季節、雨雪嵐などすべての天候での走行データによる学習を行うことができても100%安全とはならないし、現実にそのようなデータを得ようとすることは荒唐無稽であろう。特に厄介なのは歩行者や自転車である。米国での走行テストで問題なかったレベルの自動運転車が日本に持ち込まれた途端、うまく機能しなかったということがあった。道路幅が広く歩行者や自転車との接触の心配がない米国と異なり、日本では常に歩行者と自転車の動きをしっかり捉えていなければならない。
最も複雑でその動きの予測が難しい厄介な存在が「人」である。米国で徹底的に学習したはずの自動運転車のAIが歩行者や自転車に対する学習においては未熟であったということだ。
とはいえ、自動運転車のほうが総じて人の運転よりも正確であり、瞬時の反応性も高い。総合的に判断すれば、どこかの段階でAIの成熟度が100%でなくても社会投入に踏み切る判断をすることになる。自動運転車の社会投入において最先端を行く米国で、どれくらいしっかりした審査を経て認可しているのか不明なものの、州によっては認可した自動運転車の事故が多いことから運用が停止されたといったニュースもある。