米国ではAIが台頭する以前から、前述の免責するようなやり方を社会が受容していることから、AI時代となっても自動運転車の開発を含め、失敗を伴うチャレンジができ、結果的に先に進むことができている。現状、先に進むことが困難になっている日本においても、米国のような免責的なやり方を認める法体系への変革がそろそろ必要なのではないだろうか。
人とAIが共生する社会の到来に向けて
自動運転AIを含め、現在において身の回りにあるAIはすべて我々が操作する「道具としてのAI」である。しかし、現在のAI(第3世代型とも呼ばれる)をさらに発展させた、第4世代型のAIの研究開発が着々と進み始めている。第4世代型のAIこそ、これまでにも言及している「高い自律性と汎用性を持つAI」である。
自律性とは、我々人と同じように自らの意思を持ち、自らの判断で行動するという意味である。完璧な状況理解能力と判断能力を持つAIが実現できるとは限らないものの、それでもAIの研究開発は前進し、遠からず第4世代型のAIは登場するであろう。なぜかといえば、それは人が求めるからである。
特に超少子高齢化時代が到来する日本において、介護などの現場における労働力としてAIやロボットへの期待は大きい。その際、決められた動作しかできないAIやいちいち命令しないと動作しないAI、そして、状況を理解し空気を読んだ行動ができないAIでは、社会に溶け込み人と共生する関係には到達できない。AIが自らの目的(目的は人が埋め込む)に従い、状況に応じてどのように振る舞えばよいか自ら判断し、人から指示されなくとも能動的に先回りして動作してくれるほうが圧倒的に便利である。そのようなAIであれば信頼関係も構築でき、人とAIとの共生関係も構築できると考えられる。
しかし、そのようなAIであっても、問題なく動作することを100%保証することは難しい。利便性があれば、結局人は受け入れるだろうが、稀に誤動作を起こす可能性があるということだ。この場合も自動運転車と同様の法体系がなければ、有用なAIの開発や社会投入は難しい。
現在、最先端AIの開発や運用に関するガイドライン策定の動きが国際的に活発化している。正しいAIの理解に基づく議論となっていればよいのであるが、現実にはミスリードのままの議論も散見される。その意味でも研究開発に関わる研究者・技術者と法制度の整備に関わる学者・専門家との密な議論がこれまで以上に必要となる。