「私にとっては家族同然。母のような存在でした。危篤の一報を聞いて病院に駆けつけたのですが、臨終に間に合わなかった。それが本当に悔しくて……」

 涙ながらにこう語るのは9月29日に老衰で亡くなった女優で声優の大山のぶ代(享年90)のマネジャーを35年以上務めた、小林明子さんだ――。

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喉に神経質なほど気をつかっていた

 国民的キャラ「ドラえもん」の声を1979年から2005年まで約26年間にわたり演じ続けた大山。原作者の藤子・F・不二雄が「ドラえもんってこんな声だったんですね」と評した“愛嬌のあるだみ声”を維持するため、神経質なほど気をつかっていたという。

「バッグの中にはいつも風邪薬とのど飴が入っていて、少しでも喉に『あれ?』って感覚があるとすぐに薬を飲んで予防していました。あんまりにも頻繁だったから、本当に風邪をひいたときに薬が効かないのではないか、と心配しました」(小林さん)

大山のぶ代

常に「ドラえもんファースト」だった大山

 大山は常に「ドラえもんファースト」で仕事に取り組んできた。だが、そんな国民的番組の放送継続に黄色信号が灯ったことがあった。01年7月、大山が直腸がんを患い、治療のため長期入院を強いられたのだ。

「入院のため声の収録ができなくなり、()りだめていたストックもなくなった。その当時、大山の病気は音響の担当者などごく限られた関係者だけが知る極秘事項でした。番組に穴を開けないように大山は、一時外出の許可をもらい、本人のみの声の収録をするため病院からドクターを伴ってスタジオに向かった。マイクの前では私が身体を支えて、なんとか立っていられる状態でしたが、いざ本番になると、いつものドラえもんのだみ声がお腹の底から出てきて。本当にすごい人だなと思いました」(同前)

 収録が終わった瞬間、スタジオには自然と拍手が湧き起こったという。