大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか?
大山さんの認知症を公表するまでに砂川さんが直面した数々の試練を、砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。
◆◆◆
マムシからのアドバイス
「なあ、啓介。ペコの病気のこと、公表したほうが絶対にお前も楽になるって。俺が段取りするからさ、(大沢)悠里のラジオ番組でしゃべったらどうだ」
60年来の親友・毒蝮三太夫の口からその言葉が出たとき、僕は押し黙ってしまった。
2015年4月、僕は“マムシ”こと毒蝮と久々に二人で食事をしていた。
普段は、共通の友人を交えて遊ぶことが多かったので、二人だけで会う機会はあまりない。それでも、あえて二人きりだったのは、他でもない。カミさんの認知症について相談するためだった。
もともと僕は人に相談すること自体が苦手で、半世紀以上の付き合いがあるマムシにも、カミさんが認知症であることは明かしていなかった。いや、親友のマムシにさえ、別人のようになってしまった彼女の姿を知られたくなかったのかもしれない。
認知症のことを知っていたのは、家政婦の野沢さん、マネージャーの小林、そして、ごく限られた仕事関係者だけだった。
すると、そのうちの一人に「マムシさんに相談してみたら?」と提案されたのだ。なんでもマムシは介護の番組に出演していて、その方面に詳しいのだという。長い付き合いだというのに、あろうことか僕は全然知らなかったのだ。
マムシに電話をかけ事の次第を話すと、意外な反応が返ってきた。
「実は、カミさんが認知症で……」
「ああ、そうだろうな」
「『そうだろうな』って、どういうことだ?」
「啓介、お前さ、そういうことはちゃんと話してくれなきゃダメだよ」
マムシは、とっくにカミさんの認知症に気づいていたようなのだ。
無理もない。彼女が脳梗塞で倒れた後も、鹿児島での“砂風呂事件”のときのように、僕たち夫婦は知人と一緒に旅行したり、食事したりする機会が何度もあった。
きっと「大山さんの様子がおかしい」「これは脳梗塞の後遺症なんかじゃないだろう」と感じた人もいたことだろう。
だから、どこかからマムシの耳に情報が入っていても、なんら不自然ではないのだ。
「とにかく、一度会って話そう」
マムシの提案に、僕は二つ返事で頷いた。