夫は「初代たいそうのおにいさん」
まさにドラえもん一筋の大山を支え続けたのが、夫で俳優の砂川啓介(17年に死去)だ。2人は舞台『孫悟空』(1963年)で共演。砂川は当時すでに「初代たいそうのおにいさん」として人気を博していた。共演から間もなく交際を開始し、64年に結婚。砂川と10代の頃から親交のある俳優の毒蝮三太夫(88)が回想する。
「啓介が初共演した時の写真を見せてくれたことがあった。三蔵法師役で馬に乗っているペコ(大山の愛称)の写真なんだけどさ、小さくて本当にかわいかった」
夫婦の悲劇
そんな夫婦を悲劇が襲う。大山は66年に男の子を死産。その6年後に女の子を出産するも、生後3カ月で亡くしてしまう。
「それもあったのかな、ペコは世の中の子供を自分の子供だと思っているようなところがあった。パン屋で商品棚に置かれたパンを手に取って、また元に戻す子供を見たときには『買わないんだったら触っちゃだめよ』と、見知らぬ子を優しく叱るんだ。まるでその子の母親のようにね。そんなだから、何回も仲間から子供の名付け親をお願いされていた」(同前)
芸能界きっての「おしどり夫婦」
大山と砂川は芸能界きっての「おしどり夫婦」としても知られた。仕事で地方に出かけた大山は帰りの新幹線の中から必ず砂川に電話をかけたという。
「『今乗ったから!』『何時に着くから』って。時には2人で台所に立って、大山が作った料理を砂川さんが味見して、『生姜入れたほうがいいな』なんてアドバイスしたり」(小林さん)
脳梗塞で倒れ、会話もままならぬ状態に
2005年、ドラえもんを降板。その後もタレントとしてテレビやラジオの出演を続けた大山。だが、08年4月、専門学校の声優部の講師に出向いた時に脳梗塞で倒れてしまう。
「病院にいる大山から『ちょっと具合が悪い』と電話がありました。医者からは血栓が脳に飛んで呂律が回らなくなったと。私が翌日に病院に行くと会話もままならぬ状態で。約1カ月後にリハビリが始まったのですが、『2+4』の足し算ができない。全部掛け算になって出す答えが『8』になるんです」(同前)