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 その後、徐々に大山の態度や行動が変わっていった。12年秋にはアルツハイマー型認知症の診断を受ける。それから3年後の15年に大山の病気を砂川がラジオで公表した。当時の様子を毒蝮が明かす。

「病気が分かった当初、啓介は『ドラえもんのイメージが壊れてしまう』と公表を躊躇っていた。でも13年に啓介自身にも胃がんが見つかってね。必死に老老介護を続けていたんだけど、目に見えてやつれていった。それで『1人で全部背負ったら、お前のほうが参っちゃう。介護は人に助けてもらわないとダメだよ』って助言したんです」

 砂川は最後まで妻の世話を続けた。「ペコより先に逝けない」と繰り返したが、17年にがんで死去。

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最愛の夫を亡くした後の大山

「砂川さんの通夜の前日に大山を砂川さんが眠る棺の前に連れていき、お顔を見てもらったら大山は一言、『お父さん!』と言いました。その後、病気が段々と進むとたまに誰かを見て、『啓介さん』と旦那さんの名前を呼ぶことがありました」(小林さん)

 その後、最愛の夫を亡くし、施設で生活を続ける大山を小林さんは毎日のように見舞った。だが、大山は今年に入り、発熱などで入退院を繰り返すようになり、9月19日に再入院。そして29日に静かに息を引き取った。親族と小林さんらによって葬儀はしめやかに営まれたという。

「棺には砂川さんの写真と大山が好きな虎屋の栗ようかん、ドラえもんのぬいぐるみなどを入れさせていただきました。すでに納骨を済ませ、砂川さんやお子さんと一緒のお墓に眠っております」(同前)

 ドラえもんと共に生きた大声優。彼女の人生の最終回は天国で最愛の夫と再会する場面だったに違いない。