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丹念な取材のもとに浮かび上がってきた、重大な新事実

 自身の葛藤や孤軍奮闘ぶりについて、著者はみずからを律して多くを語ろうとはしない。しかし、事実に即して忠実に語られる言葉は、緻密な取材によって集められた証言、丹念な資料収集、煩雑な裏付けを厭わぬ精査のたまものである。その結果、私たちに手渡される事実の数々は、日本の戦後史の発掘に繋がってゆく。全国の農漁村から軍事拠点広島に動員された少年特攻兵たちの存在。朝鮮半島出身者たちの身の上と、理不尽に抹殺された人生。納骨名簿に記載されながら、じつは生存していた従軍看護婦。半世紀以上の歳月を乗り越えて弟の遺骨を手にした、かつての原爆孤児の半生。沖縄出身の被爆者は、戦後のアメリカ統治下、社会的に放置されたままだった……納骨名簿の名前ひとつひとつに、家族にまつわるおびただしい物語があった。ようやく連絡がついても、遺骨はすでに戻っていると言われ、受け取りを拒まれることさえあったという。読みながら、遺族の方々が抱えてきた煩悶の深さを、想像したことさえなかった自分の無知が恥ずかしく、歯がゆい。佐伯さんが洩らした言葉「おうとるほうが、不思議よね」のリアリティが、ひたひたと黒い雲のように迫ってくる。

 著者を奮い立たせた存在は、ほかにもあった。佐伯敏子を十数年にわたって取材しながら、二〇〇八年に急逝したジャーナリスト、中島竜美。遺族から著者のもとに託された取材ノートが、執筆を励ます伴走役となったことも、ここに書き留めておかなければならないだろう。死者たちへの鎮魂の祈り、知らんふりのできない生き方、このふたつが本書を支える両輪の轍である。

平和記念公園の原爆慰霊碑。写真:show999/イメージマート

ひとりひとりの生を、数字に埋没させてはならない

 原爆供養塔に眠るおよそ七万人、納骨名簿に記載される遺骨八一五柱。死者がひと括りの数字で語られることへの違和感、怖さを思う。数字のなかにひとりひとりの生を埋没させてはならない。二〇一七年、遺骨八一五柱のうち一柱の身元が判明、七十二年ぶりに遺族のもとに戻った。死者の語りに、私たちは耳を澄まし続ける必要がある。それが生きる者の義務であり、務めである。同年十月三日、佐伯敏子さんは九十七歳の生涯を閉じられた。

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 五月に萌える新緑が、原爆供養塔を取り囲むようにしてさわさわと揺れている。初めて私が原爆ドームの前に立ったのは、小学生のときだった。平和記念資料館で受けた衝撃は今日まで色褪せることはないが、近年その展示内容が原爆の凄惨さを減じる傾向にあることが、どうにも引っかかる。さまざまな思いが湧き上がるなか、それでもあたりの静寂に導かれて心の波立ちを鎮め、手を合わせた。佐伯さんがこの世にいなくとも、佐伯さんそのひとの魂はきっとここにある。死者を葬り去ってはならない。忘れてはならない。歳月のなかに埋もれさせてはならない。しばらくひとり佇みながら、この原爆供養塔の前で出逢った佐伯敏子さんと著者の姿に思いを馳せた。そして、本書『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』によってもたらされた〈読む〉という行為の強度を思い、あらためて畏敬の念を抱いた。

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