本書は、佐伯さんの発問にたいする全身全霊の返答でもある。毎年七月、広島市が公表する「原爆供養塔納骨名簿」は、佐伯さんが原爆供養塔の地下室にこもり、懐中電灯で照らしながら写し取った記録を下敷きにしている。その名簿を手がかりに、船に乗り、新幹線や鉄道を乗り継ぎ、レンタル自転車を漕いで遺族探しをはじめる著者の姿は、まるで佐伯さんが乗り移ったかのようだ。そして、推理小説を地でゆく困難な作業を続けるうち、疑念が湧きはじめる。納骨名簿に記されている情報は、いったいどこまで正しいのか?
半年後の七月、取材の経緯を報告するため、著者はふたたび佐伯さんのもとを訪ねている。疑念を率直に打ち明けると、「おうとるほうが、不思議よね」。虚を突かれ、あわててテープレコーダーの録音ボタンを押した。では、間違っているかもしれないのに、なぜ佐伯さんはあれほど根気よく遺族を探し続けたのか。
堰を切ったように語られる、九十三歳の語り。
「――じゃから、遺族が分かるということのほうが奇跡なんよね……。でもそれもまた、本当は違うとるかもしれん、だけど、もし何か手がかりが見つかったら、それは伝えんといけん。いらんと言われても、伝えるだけは伝えんといけん。それは知った者の務めよね」
固唾をのむ著者の気配が伝わってくる。
では、生きる者は何を伝えるべきか、何をなすべきなのか。
「知ってしまった人間として、知らんふりはできんのよ」
「現実は厳しいからね。二〇〇〇柱、名前の分かっとる遺骨があって、その中のたった一〇人とか二〇人くらいしか、本当の真実はないかもしれん。だからといって、それを捨てることはできんのよ。死者を見捨てることは、できんのよ。名前や住所が違うとるのは、生きている者のしわざじゃから。あそこに眠る死者たちはみんな、息をひきとる前に家族のもとに帰りたいと思いながら、自分の名前や住所を伝えていかれたんじゃから。その気持ちを考えるとね、知ってしまった人間として知らんふりはできんのよ」
著者を、佐伯さんは質したのである。終生いかなる政治組織や団体にも属さず、一市民として原爆供養塔の守り人であり続け、志半ばで病に倒れた悔しさもにじむ。くわえて、おたがい真実に近づこうとする者同士としての、連帯の表明でもあったろう。正義感や使命感だけではない、「知らんふりはできない」とは、つまり生き方に関わる問題なのだ。