SEKAI NO OWARIではSaoriとしても活躍している作家の藤崎彩織さんが、「正直になり過ぎたかもしれない」ほどありのままに心の内を綴ったエッセイ集『ねじねじ録』が、現在の心境を綴った書き下ろしを加えて、待望の文庫化!
“私の悩み方は、『くよくよ』でも『うじうじ』でもなく、『ねじねじ』である気がする。” 幼いわが子を育てながら悩み、メンバーと何度も喧嘩や仲直りをして悩み、音楽を作って悩み、文章を綴って悩み──ああでもない、こうでもないと前に回ったり後ろに回ったり。作家として、音楽家として、母として、悩んで空回りするそのような日々の想いや風景を、本音で優しく鋭く綴ったエッセイ集です。
行き詰って色々な事がどうしてもうまくいかない日、ぜひこの本のページを開いてみてください。救いになる一冊です。
今回、本書のエッセイの中から、「焼きたてのパン」の一篇を特別公開します。
朝、パンの匂いが寝室まで届いてきた。電気屋のポイントが溜まりに溜まり、好きなものをと悩んで買ったホームベーカリーが、初作品である食パンを焼き上げたのだ。
蓋を開けると更に香ばしい匂いが立ち込めた。焼きたての食パンを取り出して、まな板に置く。できたては柔らかすぎるので、すぐに切ってはいけない。
焼きたてのパンの美味しさを知ったのは18歳の頃だった。酷い不眠症に悩んでいた私は、思い切って早朝のパン屋のアルバイトを始めることにした。
不眠症といっても、全く眠くならないという訳ではない。私の場合はどうしても夜にだけ眠れないという症状で、夜のうちはベッドに入って3時間たっても4時間たっても冷や汗が出続けるだけなのに、あたりが明るくなってくると何故か眠くて仕方がなかった。
それならばいっそ開き直って朝寝てしまえば良いのだけれど、当時は一般的な生活リズムから外れることも恐ろしかった。今寝たら一日を台無しにしてしまう、今寝たらまた夜眠れなくなる。そんな恐怖を抱えていたので、まるでゾンビに嚙まれた人がゾンビになるまいと必死で正気を保つ時のように、明け方に満身創痍でパン屋に向かった。
パン屋に着くと、まずはできたてのパンを包んで置くのが仕事だった。美しくパンを包むにはコツがあって、パンが立体的に見えるようにテープを貼る。ひたすらパンを包んでいると、次第にお客さんが入ってくるので同時にレジも打つ。パンにはバーコードがついていないので、全てのパンの名前と値段を覚えなければならない。エッグベネディクト、250円。カルツォーネ、330円。シナモンロール、180円。ほとんど寝ずに家を出てきているので、レジを打ちながら土に還ってしまいそうな程眠たかった。
「フレンチトースト食べてみな。こういうのって、数字とか文字だけじゃ覚えないからさ。ほら美味しいよ。これは150円」
明らかに体調が悪そうな私に優しく声をかけてくれたのは、早朝を仕切っている古株のアルバイトの女性だった。垂れた目尻がチャームポイントのパン屋のお母さん的存在だ。今考えてみると、アルバイトが勝手にパンを食べていい権限を持っていたのかは不明だけれど、彼女は私にいつもいろんなパンの味見をさせてくれた。
「パンってね、焼きたては全然味が違うんだよ」
そう言って手渡されたパンを食べると、急にぎゅっと目尻が熱くなった。サクッと音をたてて潰れるクロワッサンや、じゅわっと口に広がるチーズトースト、外側がかりかりのメロンパンを、私は涙を拭いながら夢中で食べた。
本当は眠れなくて、立っているのすら必死の日々が続いていることがやるせなかった。まわりの人たちのように前に進めない自分が許せなかった。何も上手くいっていないのに、それでも誰かに貴方は充分頑張っていると言われたかった。そんな思いが、パンを食べた途端に溢れ出してきた。
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味は分からない」
ゲーテがそんなことを本に書いていたらしい。私に人生の味が分かっているかはさておき、涙とともに食べたあのパンの味は、いまだに忘れることがない。
★藤崎彩織さんの文春文庫・好評既刊
・『ねじねじ録』(文庫最新刊。悩んでいる人にぜひ届けたいエッセイ集)
・『ふたご』(直木賞候補作となった鮮烈な小説! デビュー作)
・『読書間奏文』(「本」を通して自身のターニングポイントを綴る、初エッセイ)