「バスに乗って2週間も3週間も旅を同じメンバーで続けていたら、退屈にもなるし、なにか娯楽が必要になる。それがイジメにつながって、自分がターゲットにされたんだろうね」
“極悪女王”のあだ名で名を馳せ、ついにはそのレスラー人生がドラマ化までされたダンプ松本さん。しかし、そんな彼女も若かりし頃は「連日連夜のイジメ地獄」に苦しんだことも…。当時の記憶を、新刊『証言 全女「極悪ヒール女王」最狂伝説』(宝島社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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“先輩みんな”からの連日連夜のイジメ地獄
1980年、ビューティ・ペアに憧れて全日本女子プロレスに入門したダンプ。だが、同期のなかでも落ちこぼれの烙印を押され、デビューどころかプロテストにもなかなか合格できない。気がつけば、運転免許を所持していることをいいことに宣伝カーを運転させられ、営業の仕事を手伝う日々を送っていた。
「プロテストってロープワークとか受け身とかを見るもんなんだけど、なかなか合格できないもんだから、どんどん内容が変わっていって、最終的には自分と(クレーン・)ユウさんが並べられて『そのバーベルを100回、持ち上げることができたら合格』ってことになった。もう技術とかそういうテストじゃなくて根性だけだよね(苦笑)。今でも不思議なんだけど、いつもだったらバーベル100回なんて絶対に無理だったのに、あの日だけは奇跡的に持ち上げられたんだよね。プロレスラーになりたい一心で不思議な力が沸いたのかな? そのおかげで今の自分がいるんだけどね」
1980年8月8日、本名の松本香でプロレスラーとしてデビュー。しかし、待ち受けていたのは連日連夜のイジメ地獄だった。
「誰にイジメられたってことじゃないんだよ。それこそ“先輩みんな”だよね。たとえばバスで移動している時にパーキングエリアに寄るでしょ? その時に先輩からお金を渡されて『団子を買ってこい』って言われるの。それはよくあることだと思うんだけど、渡されたのはオモチャのお金。しかも、その店では団子なんて売ってないんだよ。売ってもいないものをオモチャのお金で買え、と。それで困っている自分の姿を、みんなでバスの窓から眺めてゲラゲラ笑っている。しまいには『よく聞こえないから、もっと大きな声で買い物しろよ!』ってヤジられたりしてね。
もっとひどいのは、そのままバスが出発して、一人だけ置いていかれたりね。こういうのって誰が主犯なのかバレないんだよ。運転手は選手に逆らえないし、全員揃いましたって言われたら出発するしかない。あとで口裏を合わせて『松本が乗っていないなんて気がつかなかった』って言われたらそれまでだからね。まぁ、みんなで同じバスに乗って2週間も3週間も旅(全女用語で巡業のこと)を同じメンバーで続けていたら、退屈にもなるし、なにか娯楽が必要になる。それがイジメにつながって、自分がターゲットにされたんだろうね。こんなのほんの一例で、理不尽なことばかりだったよ。
それでも辞めようとか逃げようとか考えなかったね、やっとプロレスラーになれたんだから。逆にさ、この頃次のスター候補みたいに会社からプッシュされて、ポスターに大きく載せられていたような人たちが、突然、辞めちゃったりしたんだよ。自分からしたらさ、毎日試合も組まれて、会社からも期待されて、イジメられているわけでもいないのに、なんで辞めるの?ってなるよね。エリートにはエリートの悩みもあるのかもしれないけどさ」
エリートといえば、同期のなかでも格差が生じ始めていた。