臨床心理士・信田さよ子さんのもとには、親子関係や家族関係に悩みを抱える人がカウンセリングに訪れる。その多くは女性たちだという。いったい、彼女たちはどんな悩みを抱えているのだろうか——。

 ここでは信田さよ子さんの著書『母は不幸しか語らない——母・娘・祖母の共存』(朝日文庫)より一部を抜粋。信田さんのもとを訪れたアケミさん(仮名・60代半ば)はどんな苦悩を抱えているだろうか。(全2回の1回目/2回目に続く)

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優しくて温厚な夫だった

 アケミさんは60代半ばだが、ショートカットにグレーの髪がよく似合う。なんとか私に背中を押してもらいたいと思って来談した。

 夫は2年前に定年退職し、長男は研究職で海外在住、長女は公務員で近所に住んでいる。2人の孫の保育園の迎えを引き受けているが、仕事帰りの娘が訪れ、孫も含め5人で夕食を囲む時間が何よりの幸せだった。アケミさんは育児の手が離れたころから勉強をして、介護の資格をいくつか取得した。孫のお迎えとバッティングしないように調整し、2つの高齢者施設で仕事をしている。

 2歳違いの夫とは学生時代に知り合い、親の反対を押し切って同棲後、結婚した。妊娠するまでは共働きだったが、夫の海外転勤とも重なったので退職し、しばらくは専業主婦として育児に専念した。夫とはどんな忙しいときも会話を欠かしたことはなかった。

 会社の仕事が大変だったときも、夫は私生活に仕事の話題を持ち込むこともなく、むしろアケミさんの日常の大変さを思いやって話を聞いてくれた。同世代の友人たちが集まると必ず出る夫の愚痴も、自分には無縁のものとしか思えなかった。

「本当にやさしくて、温厚な夫でした。一人娘の私が近所に母を引き取って住まわせることにしたときも、両親のいない彼は賛成してくれたんです」

思いもかけない不意打ちの言葉

 夫の唯一の趣味は登山だった。年に2回は必ずフル装備で山に登った。頂上で雲海をバックに撮った写真が何枚も居間に飾られている。定年後は登山の頻度も上がり、体力づくりのためのジョギングも欠かさなかった。

 そんなアケミさんがカウンセリングにやってきたのは、半年前の夫の言葉がきっかけだった。