いつもどおり夕食を済ませた後、リビングのソファに座った夫は珍しく硬い表情で話があると言った。
「実は家を出ようと思ってるんだ」
思いもかけない不意打ちのような言葉にアケミさんは驚いた。
「ええっ? それっていったいどういうこと?」
はっきりと、そしてゆっくりと夫は告げた。
「実は、別の女性と暮らすことになっている」
「僕は、家を、出たいんだ」
「家を出るって? それであなたはどうするの? 何をしたいわけ?」
しばらくの沈黙ののち、夫はアケミさんの目を見つめながら言った。
「黒姫に住むことにした。実は、別の女性と暮らすことになっている」
「…………………」
「僕は、僕は生き直したいんだ」
その後アケミさんは、半狂乱となり、夫に詰め寄った。いったい何が不満なのか、いつからそんな計画をしていたのか、相手の女性はどんな人なのか、これまでの生活をすべて捨ててしまうのか、私のどこが悪かったのか……。夫はそれに対してあまりはっきりとした返答をしなかったが、それらがすべて相手の女性をかばう態度と思われ、さらにアケミさんの怒りと混乱は激しくなった。
相手は同年代の登山仲間だった…
そんな修羅場の数日を経て、娘や孫には一切心配をかけたくないと思ったアケミさんは、自分1人の胸の中にしまうことにした。相手の女性についても、振り返ってみれば思い当たるふしがいくつも見つかった。
夫の登山仲間であるその女性は、定年退職後の夫の登山にはいつも同行していたようだ。黒姫という土地もそこから選ばれたものだろう。
相手が若い女性だったらわかりやすかったが、なんとその女性は夫より3歳年下で、アケミさんとほぼ同年だったことも衝撃を深くした。夫は予告どおり、その告白の1週間後に小さなカートを引いて家を出て行った。