『緑のさる』(山下 澄人 著)

 アルバイトの求人誌を開いて、求人広告を見ていると酔う。

「今度さ、うちで求人広告出すんだけどさ、○○さん出てよ」

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「えぇ……店長が自分で出れば良いじゃん! なんで私がぁ? ここの制服かわいくないから恥ずかしいし……それなら○○君で良くない?」

「おっ、じゃあ○○と一緒にやってよ。なんかさ、2人お似合いだし、いいじゃん。じゃあそれで決まりな」

「はぁ? なんで勝手に決まってるのぉ。意味わかんないんだけどー笑」

『緑のさる』(山下 澄人 著)
『緑のさる』(山下 澄人 著)

 いつだってずっと、こんなクソみたいな会話の横で息をひそめてきたじゃないか。店長、俺もここに居るんですけど、と心のなかで叫び続けてきたじゃないか。だから、嘘くさい笑顔を貼りつけて、バイト先の求人広告に載っていたような人とは仲良くできない。そして、バイト先でリーダーになるようなバンドマンは絶対に売れない、と言いがかりのような偏った持論をずっと持ち続けてきた。仕事って楽しい、今まさに仕事と一体化している、もうこのチームならどんなことでも協力して乗り越えていける、というあの海の家リゾートバイト感にやられてしまう。

 いつだって、写真もないそっけないレイアウトの広告で、時給が安いところを選んで応募していた。「はぁ? なんで勝手に決まってるのぉ。意味わかんないんだけどー笑」野郎に「優しく丁寧に」仕事を教えてもらうのなんて御免だし、時給が安いということは、それ相応に楽な仕事に違いない、と思っていたからだ。実際は全然違って、面接に行くと、そっけない面接担当者が出てきて、時給の割に大変な業務内容をそっけなく説明された。

 下積み自慢ばかりしたくはないけれど、ネタに困ると、やっぱりすがってしまう。何回もなぞっていて、いい加減飽きられてきていると知っていてもやめられないのは、明らかに配球を読まれているのにそれでも投げずにいられない決め球のように、これで打たれたら仕方がないという諦めにも似た信頼があるからだろう。(また野球にたとえた。典型的な、女子にモテない男の言動だ)

 あの当時舐めていた泥水は確かに本物だったけれど、ついでに世の中も舐めていた。

 アルバイトの求人誌を開いて、求人広告を見ていると酔う。でも、アルバイトの求人誌を開いて、必死にアルバイトを探している自分にも酔っていた。貧乏な暮らしを省みず、居酒屋の会計を女子に払ってもらうことが格好いいことだと思っている時期が、確かにあった。あのまま行けば、Yahoo!ニュースのコメント欄に「で、誰?」と書き込むような人間になっていたかもしれない。危ないところだった。でも、どうやって今にたどり着いたのか、よく覚えていない。

 今もどこかで、まったく手応えのない面接帰りの自分が、自転車に乗って虚ろな目をして街をウロウロ走り回っているような気がする。もし見つけたら、一発殴ってから、ピンサロにでも連れて行ってやりたい。そして、女の子にもらったメッセージ入りのカードを交換して読み合いながら、ビールを飲んで語り合いたい。

 蕎麦屋、コンビニ、スーパー、ポスティング、コールセンター、ラブホテル、工場、警備員、どこにも居場所がなくて良かった。あの居心地の悪さのおかげで、今がある。でも、今だって居心地は悪い。居場所なんてなくていい。嫌になったらいつでも飛んでやる。それくらい開き直って生きたい。

 このめちゃくちゃな物語に、そう強く思わされた。

緑のさる

山下 澄人(著)

平凡社
2012年3月16日 発売

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