音楽の交流というのは魂の交流
――大きかったのは、共通性を感じたという点ですか?
矢野 それがなにかというのは具体的にわからないんですけど、一緒に歌を歌うとその人の人間性が――全部出るとは言いませんけれども――ある程度どういう人間であるか、どういう人間がこういう歌を作っているのかというところがわかるんです。向こうももちろんそうだと思います。
なので、ただ単に他愛のない話をしてお茶を飲むというのとは違いますよね。音楽の交流というのは魂の交流でもあるわけなので、そこでこの人が持っているものと、私が持っているものは合うなという確認ができたんだと思います。
彼の曲から、強く感じる”孤独”
――矢野さんは1994年のアルバム『ELEPHANT HOTEL』の中で、すでに「すばらしい日々」をカバーされていました。1994年はちょうど民生さんのソロデビューの年でもありますが、その頃から民生さんの曲、ユニコーンの曲に興味を持っていたということですよね。
矢野 そうですね。たぶんきっかけは、THE BOOMの宮沢和史さんと親しくしていたので、あの頃バンドブームで出てきた宮沢さんと同世代の人たちの音楽はよく聴いていたんです。
――ジァン・ジァンの時にも「すばらしい日々」や「大迷惑」を披露されていたと思います。民生さんが作る曲のどんな部分に惹かれていたんですか?
矢野 孤独っていうことですね。人間は孤独であるっていう、それをとても強く感じます、彼の曲から。
「あ、これは私が歌う歌だ」
――メロディーにも、歌詞にも、孤独を感じますか?
矢野 いや、メロディーは関係ないと思います。やはり詞の部分でそう思いますね。
――曲をカバーしたり、実際に共演したりする中で、その実感を強くしていったんですか?
矢野 どの曲にも同じように感じるわけではなくて、「すばらしい日々」はちょっと特別な位置にあるかな。アルバム『SPRINGMAN』(1993)のCDが出て、すぐに聴いて、「すばらしい日々」を何回も何回もリピートしました、あの曲だけ。「すばらしい日々」は、「あ、これは私が歌う歌だ」と思いました。