矢野顕子には奥田民生のある名曲を聴いて「孤独を感じた」ことがあったという。果たしてその曲とは……。(全2回の前編/続きを読む)
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ゲストとして招いたのが民生さんだったのか
――民生さんとの初対面は渋谷のジァン・ジァンの時ですか?
矢野 たぶんそうですね。
――2000年3月、渋谷ジァン・ジァンが閉店する前月に、矢野さんはジァン・ジァン最後の公演を4日連続で行いました。その最終日にゲストとして招いたのが民生さんです。それは以前から公演をしてきた特別な場所の、特別な日だったはずですが、なぜ民生さんだったんですか?
矢野 たとえば大きな劇場にゲストに来ていただくとか、そういうのにはいろいろなしがらみがあったりとか、本当に大変なんです。ジァン・ジァンのような小劇場なら、なんでも好きなことができるっていうんですか。「ちょっと来てくれる?」みたいなことも言いやすくて。
それまでの公演は自分の仲間うちで、手の内を知っている人たちと一緒に、「この歌を一緒に歌おうよ」というふうにやっていたんですよね。でも奥田さんには私が一方的に興味を持っていて、ああいう機会だったらお願いできるかなって。あのかたちがいちばんやりやすかったんです。いまでもそれに応えてくださったことにとても感謝しています。
共通性を自分のなかで感じていた
――もちろん舞台上で初めて顔を合わせたのではなく、事前に打ち合わせみたいなことはされたんですよね。
矢野 いったいどんなふうだったのか……簡単なリハーサルはした覚えがあります。一緒にやるというよりも、私の公演に、私が一緒に歌いたい人を呼んだということで、主導権は私にあったはずですから。そのときは奥田さんが以前ユニコーンをやっていたという、それくらいの知識しかなかったんですけど、でもきっと彼と一緒にやったら面白いものができる、そういう共通性を自分のなかで感じていたと思います。
――初めて共演して、どんな感触がありましたか?
矢野 あ、この人ともっと一緒にこれからもやっていきたいなって、たぶん感じたと思います。それからも交流が続いたっていうことは。