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分野を越境するノーベル物理学賞――AI受賞は2021年度の複雑物理系受賞と大いに関係している

 それがどうであろうか。カオスは2021年度のノーベル物理学賞の対象になった研究の基盤を作り、受賞対象は複雑物理系であったのである。複雑系は様々な分野に共通して存在するので、あえて記すなら複雑化学系、複雑生命系、複雑脳神経系、複雑知能系、複雑工学系、複雑経済系、複雑社会科学系、複雑デザイン系、複雑医療系、複雑数理系などなど明確にイメージできる個別複雑系分野は実に多いのである。そして、今回の人工知能分野での受賞は表だっては表明されていないがまた複雑系と大いに関係しているのである。今後、受賞対象はこのような各分野へと越境していくことだろう。それを目撃できるとしたら幸福なことである。

スピングラスとは何か? 2021年度のノーベル物理学賞を振り返る

 今年度の受賞と関係があるので、まず2021年度の受賞対象の研究を簡単に振り返っておく。ジョルジュ・パリジに対してはスピングラスの統計物理学による機構解明を行ったことが評価の対象だった。後述するように、スピングラスは今年度の受賞とも関係している。 

 スピングラスというのは、磁性を示さない物質(例えば銅)の中に少量の強磁性体(例えば鉄)を混入させた合金のことで、独特の磁性を示す。スピンとは自転する電子の角運動量(かくうんどうりょう)のことで、物質中で上向きスピンと下向きスピンは互いに打ち消しあうが、打ち消しあわないスピンが残ればその物質は磁性を持つ。鉄は強磁性体で、すべてのスピンの向きがそろう傾向にあり強い磁性を示す。

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 スピングラスでは磁性を示さない物質に磁性を示す物質が少量混入しているので、各原子でのスピンの向きが必ずしもそろわなくなる。図1は三角形の各頂点に原子が配置されたときのフラストレートしたスピン状態を表している。すべてのスピンが上向きか下向きでそろっていればエネルギー的には低い安定な状態が作られるが、図1のように一つのスピンが反対を向くだけで、最安定な状態ではなくなる。

【図1】フラストレーション
三角格子状に配置されたスピンは一つが反対向きになると、多重安定な状態が発生する。図はTHE NOBEL PRIZE IN PHYSICS  2021 POPULAR SCIENCE BACKGROUNDを参考に筆者が描いた。

 図の三角形の一番上の頂点のスピンは上を向いても下を向いても系全体としては同じエネルギー状態なので、どちらを向くかが決められない。スピングラスではこういったフラストレートしたスピン状態が起こるために、各原子のスピンの向きがバラバラな状態で凍結される(図2)。

【図2】スピングラス
緑は銅、赤は鉄、矢印は鉄原子のスピン状態を表す。図はTHE NOBEL PRIZE IN PHYSICS  2021 POPULAR SCIENCE BACKGROUNDを参考に筆者が描いた。