乳がんと診断されても、前向きに頑張る気持ちになれた理由
──SKE48のオーディションを受ける前に、AKB48のオーディションも受けたのですよね。
矢方 とにかく芸能界に入れば自分の夢が叶うと信じてAKB48のオーディションを受けたんですけど、落ちたんです。同時進行でSKE48のオーディションもやっていたので、「じゃあこっちも受けて、ダメならあきらめよう」とチャレンジしたら、合格をいただけました。でも、私はSKE48に入るまで歌もダンスも習ったことがなかったので、もしAKB48に入れていても、すぐにセレクションで落とされて大分に帰っていたと思います。
──アイドルの世界って、大変じゃなかったですか? 特に48グループは人数も多いのでルールや競争も厳しかったのでは。
矢方 確かに体育会系みたいな部分はありました。でもそれがあたりまえだと思っていましたし、そこで甘えちゃダメだというのもすごく理解できたので、厳しいとは思いませんでした。今にして思えば、乳がんと診断されても前向きに頑張る気持ちになれているのは、アイドル時代に精神的にも肉体的にも鍛えられたおかげなのかもしれないです。
「お風呂に入った時に泣いて、排水溝に流す」
──精神的に鍛えられたというのは、具体的にはたとえば?
矢方 アイドル時代は、どんなにつらいことがあっても、全部自己処理して人前では絶対にそれを見せないようにしていました。自分が悲しんだり苦しんだりしていることで他人に迷惑をかけちゃいけない、自分のことは自分だけで終わらせたいというのは、SKE48時代いつも意識していましたね。1回は泣いたりしますし、根にも持つんですけど、たとえば「お風呂に入った時に泣いて、排水溝に流してそれで終わり」みたいに、うまくリセットする術を身につけた気がします。
──子どもの頃からそういうところはあったんですか。
矢方 うーん……。小さい頃からそういう性格だったのが、アイドル時代に磨かれたのかもしれません。でも17歳まで親に育ててもらったうえに、急にオーディション受けて名古屋に行くわ、アイドルの活動を続けながら学校にも通わせてもらうわ、家族に迷惑をかけているなっていうのを感じながら活動してきたので、絶対に投げ出したくないという思いはありました。
乳がんと診断されて、手術で乳房も全摘出して、1回は泣きましたけど、いつまでも泣いていないでリセットして自分の将来を考えよう、負けてたまるか、って気持ちになれたのは、SKE48として過ごした7年半のおかげかもしれないと、今あらためて思います。
写真=山元茂樹/文藝春秋
やかた・みき/1992年生まれ。名古屋・栄に誕生したアイドルグループ・SKE48のメンバーとしてデビュー。「チームS」のリーダーを務めた後、2017年2月に卒業。現在はZIP-FM 『SCK』のアシスタントのほか、中京テレビの動画配信サイト「Chuun」の『ナゴヤアニメプロジェクト!』にてレポーター兼ナレーションを務めるなど、名古屋を拠点にタレントとして活動中。