試験官としての胸中「モチベーションをどこに…」
世間の評というのは酷なものだ。今回、試験官となる5人のメンバーが発表されたとき、山川への評価は低いものだった。西山が初戦の高橋佑二郎四段に勝利したときには、メディアや将棋ファンは3戦目の上野裕寿四段戦が山場になると予想した。第2戦の山川には、西山が勝つと思ったのである。
試験官は棋士になってもっとも間もない5人が選ばれるが、中でも上野の実績は抜けていた。デビュー直後に新人王戦優勝を飾り、今回のメンバー発表後には加古川青流戦でも優勝している。一方で山川のプロデビュー後の成績は振るわない。勝率も5割を割り込み、新人棋士らしい勢いがなかった。
山川自身も、そうした世間の声を知っていた。
「試験官の立場を迎えるにあたって、本当にいろいろなことを考えました。最終的に自分は“将棋指し”なので、できることは目の前の将棋をただ頑張ることしかないという結論に至りました」
彼の胸中にあったものとは何だったのか――。
この対局後に、山川から話を聞くことができた。彼が質問に答えるまでには暫しの間があり、発せられた声が少し上ずるのを感じた。
「本当に正直に言ってしまうと、将棋界のためには、どう考えたって“西山棋士”が誕生した方がいいんじゃないかと思ったんです。その方がより一層将棋界が盛り上がるという意味で……。でも、だからといって負けに行くのは違う。次に考えたのが、自分にはこの対局に何が懸かっているのだろうかと。何もないと思ったとき、モチベーションをどこに頑張ればいいのかと」
この人は優しすぎる――。人間味あふれる言葉に好感を持ちながらも、彼が勝負の世界に生きることの辛さを思った。
西山朋佳 三段リーグの激闘
木村一基九段に、作家の大崎善生から連絡があったのは7年ほど前のことだ。
「西山さんと将棋を指してもらえないだろうか?」
西山が三段リーグ4期目を迎えた頃だった。その頃、大崎は羽生善治王座(当時)に中村太地七段(当時)が挑戦した第65期王座戦の観戦記を執筆しており、解説を務めたのが木村と行方尚史九段だった。