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 世論が期待しているのは、女性棋士の誕生だ。そして、自分はこの対局に何を懸ければいいのかわからない。山川は、2022年に行われた里見香奈(現・福間)女流五冠の編入試験で試験官を務めた岡部怜央四段に気持ちのことを相談した。岡部もやはり、どのような心境で試験官という立場を務めればいいのか悩んだという。そのときに、ある棋士に言われた言葉を山川に伝えた。

「編入試験を受ける立場の人は、何か特別な力がかかっている。そういう相手と戦うのは、いつもの対局よりも難しい。だからこそ、勝つことに意味があるんじゃないのか」

 試験官に決まってから、師匠の広瀬章人九段との研究会があった。

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「自分は棋士として舐められているところがあるので、勝つつもりでいきます」

 山川の言葉を聞いた広瀬は試験日を聞いた。

「10月2日です」と答えると、「その日は空けておくよ」と言った。

「師匠はABEMAで私の将棋を解説したかったみたいです。他の先生が担当されることになって、残念だったと思うんですけど」

 

父親から盤と駒を買ってもらうとすぐに夢中になった

 山川が将棋を覚えたのは、小学1年のときだった。一人っ子で体が弱く、スポーツや友達と外で遊ぶことがあまりできない息子に、父親は何か一つでも自信を持たせてあげたかった。将棋なら家の中でも遊べるし、良いのではないか? 自分もルールくらいしか知らない程度だったが、息子に盤と駒を買って与えるとすぐに夢中になった。

「棋書を買ってもらうと、漢字が読めなくても逆さまにしたりして図面を見ていたそうです。学校から帰ってくるとすぐ将棋で、もちろん土日も。当時宮城県に住んでいたのですが、天童の駅前交流室に通っていました。でも雪の時期になると車で通うのが不便で、仙台にある杜の都加部道場に行くようになりました」

 しだいに体力もつき、病気をすることも少なくなっていた。

 小学4年のときに父親の仕事の関係で家族は東京へと引っ越した。山川はアマ強豪や奨励会員、若手プロが集う蒲田将棋クラブに通うようになり、棋力が目覚ましく向上していく。小学6年で全国小学生名人戦、倉敷王将戦高学年の部で優勝を飾る。奨励会を受験したいと言ったとき、母親は「あなたは優しすぎるから勝負の世界には向いていない」と心配した。それでも一人息子の気持ちを尊重し、賛成してくれた。

 師匠の広瀬とは蒲田将棋クラブでの出会いが縁だった。当時、広瀬はすでにプロデビューしており、早稲田大学にも通う学生棋士であった。

「師匠は学業と棋士を両立されていて、とても尊敬していました。私から弟子にしてほしいとお願いしました」