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 さまざまなアンチ行動には、アンチ対象の特定の特徴や行動に対する嫌悪ではなく、アンチ対象への嫌悪を他者と共有しながら、アンチ対象の不幸を喜ぶという傾向が影響しているのです。

 ファンたちは、ファン・コミュニティのなかで推しへの愛好を他者と共有しながら、推しの幸福を喜んでいます。そのように他者と「分かち合う」ことの喜びは、人類の進化を支えてきました。なんだか急に大きな話でびっくりされたかもしれませんが、人類がたどってきた長い進化の過程で、分かち合うという行動は、集団で生きる人間に結果として幸福をもたらしてきました。

 すると、独り占めをするような人は排除され、分かち合うことを幸せだと感じる人が集団のなかで生き残り、その人たちが子孫を残します。するとまたそのように感じる人が生き残り……という連綿とした営みが、いまの私たちに受け継がれています。

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 分かち合うことの幸せは、いま目の前にあるモノだけでなく、感情や信念、目的や未来などでも同じようにもたらされたことでしょう。なぜなら、そのような「いま、そこにない」ものを共有できることが、人間がほかの生物とは異なり、「いま、ここにある」つながりをはるかに超えた規模で集団を形成・維持することを可能にしたからです。

 分かち合うことの喜びは、分かち合う中身の良し悪しで決まるのではない、分かち合うことそのものにある、ということをアンチの例は教えてくれます。分かち合い、共感するといったこころの働きは、その内容がポジティブであれネガティブであれ、同じような効果があるというわけです。ある目標に向かって一丸となって頑張るチームと、ある人の悪口を言い合って盛りあがるグループは、気持ちの共有の楽しさという点で違いはないのかもしれません。

 シャーデンフロイデも、その内容をあらためて言葉にしてみると、ギョッとするような、あるいは抱いてしまうことに罪悪感をおぼえるような感情かもしれません。けれど、シャーデンフロイデは誰でも一度は抱いたことのあるような、ごく一般的な感情です。それによって発散される鬱憤や僻みなどの思いもあるでしょう。大切なのは、それにとらわれすぎないことです。