芸歴4年にもかかわらず、多くのメディアに出演し、脱力系男女コンビとして話題の「人間横丁」の内田紅多(うちだ・べえた)さん。
母親が名付けた「紅多」という珍しい名前から、学生時代には名前でいじられたこともあるという。そんな内田さんに、名付けの背景や名前で嫌だったこと、芸人になったきっかけについて聞きました。(全2回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
「名前を覚えてもらいやすいのでラッキーだなって」
――名前の由来は何でしょうか。
内田 ギリシャ文字みたいです。兄は、αにちなんで在波(あるは)と名付けていて。プラスαみたいに未知数の可能性を、という意味らしくて。それなら次に生まれた子は、β(ベータ)かなと。
ただ女の子なので、名前の最後が「た」で終わるのに躊躇していたらしいんですけど、生まれてきた私の顔を見て、この子は「べえた」だと直感で決めたみたいです。
――漢字はどのように決めたのですか。
内田 母が幼少期、女の子らしいことをあまりしてもらえなかったみたいで、娘は女の子らしくできるように、「紅」が多くなりますように、という意味で「紅多(べえた)」になりました。
――自分の名前を意識し始めたのはいつごろですか。
内田 小学生の時、あまりない名前なのかなという自覚が芽生えてきました。兄弟もみんな変わっている名前だったので、よく名前の由来を聞かれることもありました。
でも名前について嫌だなと思ったことは全然なくて。むしろ名前を覚えてもらいやすいのでラッキーだなって。
――たしかに一度聞いたら忘れられなさそうですよね。
内田 それに話のきっかけになるんですよ。コミュニケーションがそこまで得意ではなかったけど、「名前、本名?」とか「誰が名付けたの?」とか聞かれて、そこから話が盛り上がったり。先生や友達はみんなすぐに覚えてくれました。
ただ、ギリシャ文字が由来だと話すと、「両親は科学者なの?」とか「数学者?」って聞かれて、すごく頭のいい家系だと思われてしまうので(笑)。そういうイメージを持たれやすいですね。