〈マッチ60歳、聴力検査デビューします!〉

 往年のアイドルが大きく映った公益社団法人ACジャパンの広告を目にしたことがあるだろうか。

 還暦を迎えたマッチこと近藤真彦が、同世代に向け耳鼻咽喉科などでの聴力検査を促す広告だ。

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「ステージからファンに向けて『マッチでぇ~す!』、『盛り上がってますか~!?』と呼びかける。『イエ~イ!』とかえる嬌声に、『声が小さいな』と近藤が繰り返す。耳が遠くなりだす世代に向けて、ある意味“捨て身”の登場です」(芸能記者)

数年前のあの出来事はまるでなかったかのように…

「往年のアイドル」(ACジャパンのテレビCMより)

 15歳のときにドラマ「3年B組金八先生」でデビューし、芸能生活45年。誰もが知る元ビッグアイドルはこの啓発にはうってつけかもしれない。

「でも、古くから彼を見ている芸能マスコミからすると、どうにも過去のロンダリングに見えるんですよね。数年前のあの出来事はまるでなかったかのようになっている」(同前)

世間をガッカリさせた、マッチの“不倫騒動”

 1980年12月。「スニーカーぶる~す」でレコードデビューしたときにはすでに「たのきんトリオ」(田原俊彦・野村義男・近藤)の一員としてその人気を確固たるものにしていた。まさに“アイドル全盛期”の80年代に、売り上げ1位を獲得し続けていた存在だ。

近藤真彦のデビュー曲「スニーカーぶる〜す」

「トシちゃん派とマッチ派。当時の少女たちはどっちなのかが日々の話題だった。マッチ派はイメージカラーの黄色のものを買い揃えて応援していたんです」(同前)

「たのきんトリオ」のトシちゃん(田原俊彦・左)、よっちゃん(野村義男)

 時代はジャニーズ事務所が巨大化していく初頭だ。たのきんトリオ、シブがき隊、そして少年隊というスターが生まれていく80年代から退所せずにトップで走り続けてきた近藤は、「ジャニーズの長男坊」と称された。

 車好きを生かして、ドライバーとしてレースに参加するアイドルの先駆者でもあった。

 1994年には一般女性と結婚。現在高校生の男児の父親でもある近藤をファンは長い間応援してきたわけだ。

 ところが、そんなファンたちのみならず世間をガッカリさせたのがマッチの不倫騒動だった。