「2カ月前の練習試合でも勝ったし、この試合も普通に投げれば勝てるだろう」
マウンドに立った少年は、打席に入る大谷翔平を見ながら、こう思っていた。
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中学1年生だった大谷の、独特な雰囲気
2007年6月3日、福島県郡山市の開成山野球場では、全日本リトルリーグ野球選手権東北連盟大会の決勝戦が行われていた。
当時、中学1年生だった大谷が所属していたのは岩手県の水沢パイレーツ。相手は青森県の長者レッドソックスだった。この試合に先発投手としてマウンドに立ったのが、石塚凱さん(30)である。
「あの頃の大谷は、背は高かったけれど体は細かった。でも、いざ打席に立つと言いようのない独特な雰囲気があったんです」
初球は外角に投げ込んだ直球で空振りを奪い、2球目の変化球はストライクゾーンから少し外れた。
「とにかく大谷には打ちづらいコースだけを攻めろ」
試合前に監督から言われていた言葉を思い出し、3球目は内角低めの直球をキャッチャーミット目がけて投げ込んだ。ところが――。
「あぁ、やられたな……」
打球は右中間を切り裂き、その勢いのままフェンスを軽々と越えて行った。
「こりゃもう抑えるのは無理だなって(笑)」
「次の打席は監督の指示で敬遠したんですが、最初の印象が強すぎて、もう何を投げても抑えられる気がしませんでした」(石塚さん)
結局、試合は2対19で大敗。石塚さんは途中降板することになった。
「それでも自分は負けず嫌いなので、今度対戦することがあれば抑えてやろうと思っていました」(同前)
だが、地元の公立高校に進学後、テレビ画面で見た大谷を見て考えが変わった。
「春の甲子園で大阪桐蔭の藤浪(晋太郎)から本塁打を打った大谷の姿を見て、こりゃもう抑えるのは無理だなって(笑)」(同前)
その後は不思議と大谷の活躍を毎回チェックするようになったという。
「やっぱり一度対戦しているから気になっちゃって。プロに入ってからも毎試合結果を見て、応援するようになりました」(同前)
打たれる気がしなかった
その大谷がプロ野球選手として初めてホームランを放ったのは、13年3月17日。千葉県鎌ケ谷市にある日本ハムの2軍球場で行われた中日とのオープン戦だった。対戦した山内壮馬さん(39)は、当時プロ6年目。その頃の大谷の印象についてこう回想する。
「正直、毎年騒がれる“怪物ルーキー”の1人としか思っていませんでした。線も細いし、打席に立っても威圧感は感じなかったし」