「タラワの戦い」日本軍も駐留していた激戦地
タラワ島北部の沿岸部に残された旧日本軍の砲台。この海岸沿いに3基が今も保存されていた。太平洋戦争時、ここは「タラワの戦い」と呼ばれる激戦地であった。
戦前にはこの島に約4600人の日本軍が駐留していたという。そのうち約1200人が朝鮮半島の出身者だった。1943年11月のアメリカ軍との戦闘により、日本軍は全滅した。近くには日本人と韓国人の慰霊碑があり、戦後79年の時を経ても日本とキリバスの歴史を伝えている。
テマキン村の海岸線に、ゴミを溜めて作った防波堤があった。プラスティック類から生ゴミまで捨てられており、衛生状態は非常に悪い。大きな波が来たときには、海水や居住地域の汚染が懸念される。この地域は島の中でも貧しい人々が暮らしており、スラム街のような感じだった。集落のすぐ横に広がる砂浜は海面上昇によって、わずか数年で5メートルも削られたという。波打ち際に、かつて防波堤の役割をしていた大きな砂袋が幾つも沈んでいた。
2008年の大潮「キングタイド」が残した爪痕
エイタ村のラグーンサイドに住むメーレさん家族は、2008年の「キングタイド」と呼ばれる大潮によって自宅と経営していた小さな商店を流されてしまった。当時、夫は海外へ出稼ぎに行っており、家にはメーレさんとまだ幼かった2人の子どもしかいなかった。潮が満ちてきたときに、土嚢を出して堰き止めようとしたが歯が立たず、子どもを抱えて逃げるしかなかった。「何度取材を受けても、現状は何一つ変わっていない」と無力感を口にした。
「キングタイド」によって崩された防波堤。ここには小さなコミュニティがあったが、今は家が一軒も建っていない。満潮時には、この一帯は海に沈む。近年は海岸浸食だけでなく、かつてはあまりなかったサイクロン被害など気候変動の影響と思われる異常気象も増えている。島民の言葉が響く。
「知恵を寄せ合い、生産による悪影響を最小限に抑えてほしい。キリバスの人々はここで生まれ、ここで生き、この場所で死ぬことを願っている」
一時的な滞在であれば美しいオーシャンビューを眺められるが…
環礁であるタラワ島を構成するべシオ島とバイリキ島を繋ぐ幹線道路。この道路は日本の無償資金協力によって1987年に建設された。写真左側が遠浅の潟に面する穏やかなラグーンサイド、写真右側が外洋に面していて沖にいくほど深い青に変わるオーシャンサイドと呼ばれている。美しい海だが、泳ぐ人の姿は見られない。ほとんど観光化されていないのと、上下水道が整備されていないため海で用を足す人が多いのもその理由だ。




