この春、32年間続けた放送作家業を引退した鈴木おさむさん。同時に上梓した『もう明日が待っている』は、『SMAP×SMAP』を通してSMAPと深い信頼関係を築いてきた鈴木さんにしか書けない、知られざる国民的グループの物語が描かれていると話題を呼んだ。
ここでは、プライベートでも鈴木さんと交流のある岡村靖幸さんの『幸福への道』から二人の対談の一部を抜粋して紹介。テレビ史に残る「謝罪放送」の内幕についてや、岡村さんとSMAPの共演の思い出などについて語った。(全4回の4回目/最初から読む)
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ソウギョウケは絶対だった8年前の「あのとき」
岡村 SMAPの例の会見があったじゃないですか。会見?
鈴木 謝罪放送。
岡村 あの台本をおさむさんが書きましたよね。手を貸すのは嫌だと思わなかったんですか?
鈴木 いやもう、謝罪放送になるとは思ってなかったんで。僕ら、その前日の夜に呼ばれて、「明日生放送をやることになりました」と告げられて。僕は最初「歌をうたうのかな?」ぐらいにしか思ってなかったんです。でも、会ってみるとそんな温度じゃない。とにかく、騒動をみんなで謝るから「心配かけてごめん」ということを色を変えて書くのが僕に与えられたミッションでした。
とはいえ、メンバーそれぞれの思いはあるだろうけど、言えることは何もない。みんなで話し合って、何か言ってるようで言ってない言葉で切り抜けようと。でもそれが「ソウギョウケ」にスパーンと見抜かれた。「甘えたことを言ってんじゃないよ」と。結果、「ソウギョウケ」が入れろという言葉を入れざるを得なくなり、(稲垣)吾郎ちゃんと(草彅)剛くんにその任務を負わせてしまったんです。
岡村 おさむさんの小説(『もう明日が待っている』)にその辺のことは詳しく書いてあるけれど、テレビ史上類を見ない異様な出来事だったんでしょう? 屈辱感やテレビへの失望はなかった?
鈴木 屈するもなにも、そんなことを言ってられる状況じゃなかった。放送まであと何分というギリギリのところだったし。しかもあの頃、「ソウギョウケ」は「絶対」。テレビ局の偉い人も全員。いまだからこそ「おかしい」という感覚を抱くけど、2016年1月18日の時点では、そういうことを言える環境じゃなかった。