「希望者は、手をあげてほしい」
午前3時45分。1号機の原子炉建屋の放射線量を測定するため、免震棟から派遣された保安班員が二重扉を開けた瞬間、扉の向こう側に白いもやもやとした蒸気が充満しているのを見て、すぐに扉を閉めた。保安班員は、放射線量測定ができないまま引き返さざるを得なかった。
その様子を聞いて井戸川は、「ああもうすごいことになっているんだな」と思った。おそらく格納容器にある弁のいくつかが、完全ではないにせよ、ある程度開いてしまって、蒸気が漏れてきてしまっているのではないか。井戸川はそう思った。
中央制御室には、耐火服や空気ボンベなど、被ばくをできる限り避けるための防護装備が運び込まれていた。さらに、免震棟から緊急時の被ばく限度である100ミリシーベルトの手前の80ミリシーベルトになるとアラームが鳴るようにセットされた線量計が届けられた。
再びホットラインのベルが鳴った。運転員たちは、一斉に当直長を見つめた。免震棟とのやりとりが、これまでより少し長いように感じられた。電話を置いた後、当直長は、部下を見つめながら口を開いた。
「ベントに行く人を決めたいと思う。希望者は、手をあげてほしい」
そして自ら手をあげて、こう言った。「まず自分が行く」
どれほど放射線量が高いかも正確にわからない現場に若い社員には、行かせられない。最初からそう決めていた。即座に、近くに立っていた最年長の作業管理グループ長が口を挟んだ。
「駄目だ。お前は最後までここで指揮をとらなければならない。俺が行く」
当直長はうなだれて押し黙った。静まり返った中央制御室の中で、しかし次の瞬間、若い運転員の声が響いた。
「自分が行きます」
一瞬の沈黙の後、今度は、別の若い運転員が声をあげた。
「自分は独り者で、家族もいないので、自分が行きます」
運転員たちが、一人また一人と手をあげ、この危機的状況を救うために自ら現場に行くと志願し始めた。当直長は、呆然と、部下たちの姿を見つめていた。涙が出る思いだった。だが感傷にふけっている暇はなかった。ベントに行く人間を決めなければならない。
当直長は、放射線量や余震の強さによっては途中で引き返すことを考慮して、ベントに行くのは、2人一組3班にすることを決めた。1班ずつ原子炉建屋に入り、中央制御室に戻ってから、次の班が出発することを申し合わせた。若い者は行かせられない。当直長がベントに行く者を告げた。
第1班は、作業管理グループ長とE班副長。第2班は、C班当直長とE班当直長。そして第3班は、3、4号機のB班副長と5、6号機のD班副長。いずれも40代後半から50代の1号機をよく知っているベテラン運転員だった。この布陣が、中央制御室の答えだった。
ベントに行くことになったE班の当直長は、「放射性物質を地元にばらまく行為を若い運転員にやらせて、後々まで悔いを背負わせるわけにはいかない」と考えていた。「高卒の自分をここまで育ててくれた会社に恩を返したい」そう思っていた。