高齢化社会が加速し続ける中、一人一人の「介護」との向き合い方が切実に問われる時代になっています。一般的に介護者と被介護者の適切な距離感が大事とよく言われますが、実際には責任を抱え込み苦しんでしまう介護者も少なくないでしょう。
ノンフィクションライターの古田雄介さんは、近くに住む79歳の母親との関係において、ある決断をしたといいます。古田さんが提唱する「親を見捨てず、背負わない」介護のあり方とは?(全2回の1回目/続きを読む)
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親の老後の面倒は子がみるもの。そうした固定観念を強く持つ母を支えるために近所に呼び寄せたのが8年前。しかし、いまは直接的な世話は一切していない。この8年間で得た筆者自身の「親を見捨てず、背負わない」介護の知見を、似た境遇を迎える人たちに伝えたい。
元気がなくなり、引きこもりがちの母と近居することに
〈昨日、母が30年近く住んだ名古屋から川崎に引っ越してきた。私と姉が近くに住む地域で暮らすためだ。父が死んで3年半。72歳の母は一人暮らしの不安で疲れたふうだった。白内障や腎臓炎、脊柱管狭窄症などなどの不調にも見舞われ、自由に動けないストレスもたまっていたと思う。
お盆帰省の際、たまたま私と姉だけが実家に揃った時間帯があり、そこで「近くで暮らしたい」と正直な気持ちを告白された。妻や姉と相談し、ひとまず私の家に身を寄せて、新居を探すということになった〉
筆者がこの日記を書いたのは2016年10月24日。およそ8年前になる。長年連れ添った伴侶を失った母は月日を経るごとに元気をなくしていき、引きこもりがちになっていた。掃除の頻度も減り、身だしなみに気を遣う意識も会うごとに減衰しているのがわかった。いわゆるセルフネグレクト(自己放任)に向かっているように見えた。そこで日記にあるように、「近居」することになった。
近居なら一人暮らしの自由さを維持しつつ、子供や孫とも気軽に交流できる。いざというときはすぐに駆けつけてもらえる安心感もある。そんな環境なら徐々に前向きな生き方を取り戻すだろうと期待していた。筆者も姉も本人も。
一時的な効果は確かにあった。孫が通う保育園の敬老イベントに嬉しそうに参加した写真や、視力が衰えたときのために視覚障害者情報文化センターで点字を学んだりした動画が筆者のスマホに残っている。
しかし、どうも続かない。こちらがイベントを探して後は行くだけのところまで持っていけば参加するが、次回も同じくらいにお膳立てしないと乗ってこない。「散歩したい」と言われれば地域の散歩の会を紹介したり、合唱したいといえば近所の合唱サークルのパンフレットを渡したりしたが、その後に自ら動いた形跡はない。
近居をはじめて4年も経つ頃には、名古屋で一人暮らししていた頃と大して変わらない引きこもり生活に戻っていた。
月に1回、差し入れを持って様子を見に行くたびに、少しずつ足の踏み場が減っていったことを覚えている。部屋には未使用のティッシュの箱とトイレットペーパーの12個パックが積み上げられ、万年床となった布団の周りにはメモ帳代わりに使っているレシートの束が散らばっていた。とりあえず消耗品は備蓄して、使えるものは捨てずに活用するという美徳と言えば聞こえはいいが……。ゴミ屋敷レベルは名古屋にいたときより明らかに上がっている。
ただし今回は間近で経過に触れたので、母がセルフネグレクトに向かっていくように見える理由を掴むことができた。