1970(昭和45)年11月25日、日本を代表する作家・三島由紀夫が、自衛隊の東部方面総監を監禁――。戦後日本の重大事件のひとつである「三島事件」とはいったい何だったのか? 当時の記憶を、元東京都副知事である濵渦武生氏と、元プロ野球選手、元参院議員だった江本孟紀氏による対談本『政治家ぶっちゃけ話 「石原慎太郎の参謀」が語る、あのニュースの真相』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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三島由紀夫事件と私
――1970(昭和45)年11月25日、作家の三島由紀夫は、みずからが結成した民兵組織の「楯の会」の隊員4名とともに東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れて益田兼利東部方面総監を監禁する。
三島は監禁後、バルコニーで自衛隊員に向けてクーデターを促す演説をして割腹自殺を遂げた。
この事件は社会に大きな衝撃を与え、新右翼を生み出すなど、国内の政治運動や文学界にも大きな影響を与えたが、事件当時、23歳だった2人も衝撃を受けたという。
江本 三島事件は非常にショッキングでしたね。ちょうどそのとき、私は法政大学を出て社会人野球で有名な熊谷組に入社していたんです。
その熊谷組が東京の飯田橋にあったので、事件のある市ヶ谷まではわずかひと駅。すでに社会人野球のほうはシーズンオフで、一日中会社にいないといけない時期だから、退屈でしょうがなかった(笑)。
だから事件発生の一報を聞いたときは、いても立ってもいられずに市ヶ谷まで走ったのを覚えています。いま、思い出してみても、なんだかあの日は、あのあたりの沿線が異様な空気でした。