「三島さんの首が据わらないで転がっていた」
濵渦 私は関西大学の学生時代に三島さんにも会ったことがあるんです。「関西大学で講演してほしい」という話を三島さんや石原さんに持ち込んだんですね。そうしたら、三島さんには断られてしまった。「俺は東大でしかやらんぞ」みたいなことを言われたんですよ。
その一方で、石原さんは気軽に「いいよ」と応じてくれて、学生相手に講演してくれました。そのことに恩義を感じて石原さんにくっついていくみたいなところがありましたからね。
三島事件が起きたときも「楯の会」のメンバーとは知り合いでしたから、すぐに大阪の私のところにも連絡があったんです。市ヶ谷の私学会館(アルカディア市ヶ谷)にいた「楯の会」のメンバーから、「三島先生や古賀浩靖たちが益田総監に会いに行っている」と連絡がありました。
彼らは「立てこもっている」という言い方を私にはしませんでした。あくまで「会いに行っている」という話しぶりでしたね。それで私が「あなたがたは、どうしてそこにいるんだ?」と聞くと、「ここで指示を待っているんだ」と。
私は関西の民族派の学生たちを組織化していましたから、兵隊を少し動かせたんですね。だから、「若い衆がもし必要なら、今日、明日なら100人くらいはそちらに送り込めるぞ」と言ったんです。それで連絡を待っていたら、緊急ニュースが一気に始まって、テレビ中継もされて、三島さんがバルコニーで演説するところが流れていた。
その様子を見ながら、「これは、いまから駆けつけられるような状況ではないなあ」と思いましたね。
事件当時は石原さんも参議院議員でしたから、市ヶ谷まで行ったみたいですが、「なかには入れなかった」と言っていましたね。
三島事件については、いろんな憶測が飛び交いましたが、なかで起こったことは益田総監しかわからない。
益田総監の言葉からわかっているのは、三島さんの首が据わらないで転がっていたということ。ひと太刀で切れずに何太刀もしたから、切断面が安定しないで転がってしまった。写真もあるみたいですね。
一方で、森田必勝はひと太刀で切っているから、首がまっすぐになっていて、生首が立ったといわれています。
益田総監が「ちゃんと弔いをしなさい」と森田の首を立てさせたことも明らかにしていますし、検視をした情報もありますから。
三島事件については、いまも複雑な気持ちがあるというか……。
いまは自衛隊が現場を開放して見学できるようになっていますが、あのあたりに足を向けるのは少し気が重いですね。もう50年以上前の話になるのですが……。
江本 僕も国会議員時代に現場を見学してきましたが、生々しい刀のあとがありました。