なぜ自衛隊員はクーデターに参加しなかったのか?
濵渦 三島さんたちは益田総監に「いい刀があるから見てくれ」と日本刀の関孫六を持っていったんですよね。それで刀を見せて決起を迫っていく。益田総監を切ろうとしたわけではありません。益田総監に「クーデターの指示を出せ」と迫ったわけです。「憲法を改正して天皇中心の国家をつくるべき」というのが三島さんたちの訴えでしたから。
益田総監が命令を発すれば、自衛隊員はついてくるだろうという見立てだったのですが、益田総監は応じなかった。
三島さんは結局、バルコニーに立って、そこから一般の自衛隊員たちに檄を飛ばすしかなかったんでしょう。
でも、そうすると、演説する三島さんに野次が飛ぶ。そこにいる自衛隊員たちは三島さんの思想に理解を示すようなインテリタイプではないわけです。
みんな中学や高校を出て自衛隊に入っている人がほとんどですから。彼らを前にして国家を語っても難しかったと思います。
事件以来、三島さんを弔う「憂国忌」が11月25日に行われていますが、「憂国忌」をずっと主導したのは、発起人のひとりとなった名古屋市に本社があるフタムラ化学の創業者の二村冨久さんなんです。彼は坊主頭で、ズック靴に、いつも作業服の人でしたが、ずっと三島さんのことを思っていて、三島由紀夫神社もつくりました。すでに亡くなられましたが、三島さんを語るうえでは欠かせない人ですね。
江本 三島事件は私たちの世代にとっては本当に歴史的な事件でしたね。