そしてたえさんが初潮を迎えた12歳のとき、父はそれを待っていたかのように娘を何度もレイプした。「その日、父親は妙にウキウキしていたんです。しかも普段は滅多に食べないケーキを家族で食べました」
そのケーキは祝いのためではなく、地獄の儀式への捧げ物だったのだ。
こともあろうに、母親はレイプを止めるどころか、父娘のそばで、その行為を見ていたという。「何してんの?」と、笑いながら……。
近所の住民は報復を恐れて知らんぷり
このような地獄はたえさんが16歳になるまで続いた。
家の近所でも、たえさんと彼女の弟が父親から虐待に遭っているのは評判になっていたはずだ。
なぜなら、きょうだいが裸にされて、父に外に引きずられていく姿が度々見られていたからだ。しかし「カンジ(父の名)は、怖い」と、みな遠巻きに見ていただけ。
昭和期は、近所で児童虐待があったとしても児童相談所に通報するのは、まだまだハードルが高かった時代。何より、“短気なカンジ”の報復を恐れていたのだろう。
たえさんもただ黙っていただけではない。少し成長すると警察に駆け込み、父親から虐待やレイプ被害に遭っていることを訴えたこともあった。
「でも、父が『これは性教育の一環だ』と言い張ったので、それ以上当時の警察は踏み込んできませんでした。また、『お父さんを逮捕することができても、3年ほどで出てくるけど仕返しとか大丈夫?』と言われたこともありました。そう言われると、私にはそれ以上なす術がありませんでした」
『人間失格』を読んだ後に、子どもたちを犯した父
こんな恐ろしいことをしながらも、彼には知能的、精神的に異常性があると診断されたことはなかったらしい。もっとも、たえさん曰く「非常に口の上手い男で、外見も彫りの深い顔立ち。ちょっとインテリな部分もあったから、一見異常だとは思われなかったのかも」。
なぜか太宰治の『人間失格』が愛読書で、よく読んでいたそうだ。「あんた自身が人間失格でしょ?って感じなのに……」とたえさんは失笑する。