もちろん、家族構造がすべてを説明するわけではない。ドイツ文化特有の粗暴な露骨さは、日本文化の礼儀正しい繊細さとは似ても似つかないものだ。家族構造以外では、日本は島国という地理的条件や、仏教や儒教の土台にも負うところが大きい。
しかし、速水融教授がすでに正しく感じ取っていたように、遅くとも15世紀以降の日本では、一部の西洋との発展の類似性(人口学的、経済学的、社会学的)がその歴史の道筋を特徴づけてきたのである。明治に入り日本が西洋に追いつこうとしたのは、遠いイトコと再会を果たすような自然な流れであった。日本と西洋の政治世界との結びつきは、1945年のアメリカによる占領の結果というだけではないのだ。
日本とヨーロッパは、ロシアから中国にまたがる「ユーラシアの中央の塊」に対する「対称的な立場」にいるところに根本的な共通点がある。兄弟間が不平等な日本の「直系家族構造」(ドイツと非常に類似している)は、中国やロシアのように兄弟間が平等な「共同体家族構造」とは明確に区別される。また「直系家族構造」は権威主義的な側面を持つため、イギリス、アメリカ、フランスなどの平等主義で個人主義的な「核家族構造」とも一線を画している。
本書第4章では2つの「西洋」があることを示している。まずはドイツ、日本、アメリカ、イギリス、フランスを含む「経済的近代の西洋」だ。もう一つの「政治的近代の西洋」とは、最も西に位置する3大自由民主主義国〔イギリス、フランス、アメリカ〕のみを含む。ドイツと日本の政治的伝統はより権威主義的で、この点は、1945年以前のそれぞれの歴史が示している。
日本は「アメリカの支配下から解放されるだろう」
「西洋の敗北」という問題に取り組むには、「日本の本質とは何か」というこの問題を念頭に置かなければならない。西洋の敗北は今や確実なものとなっている。このまえがきと同時に2024年7月初めに書いた「日本語版へのあとがき」でも、それがどれほど確実なことなのかを示した。しかし、一つの疑問が残る。日本は「敗北する西洋」の一部なのだろうか。この問いに数行で答えることはできないが、簡単に私の見解を述べよう。
西洋の危機の核心は、アメリカ、イギリス、フランスにある。そもそもこれらの国においては、政治的危機がすでに如実に現れている。ウクライナ戦争の当事国としてはあまり重要ではなかったフランスだったが(兵器の生産が少なすぎる)、この最終段階に来て重要な当事国になってきた。というのも、フランスは西洋同盟諸国の中でも、対ロシア制裁の影響で、経済と政治体制が最初に崩壊しそうになっている国だからだ。対ロシア制裁は、ヨーロッパ経済をストレス状態に陥れた。マクロン大統領の非合理的な行動、国民議会(下院)の解散、そして解散に伴って生じるカオス状態の原因の一部は、この戦争が引き起こした大衆層の生活水準の低下に見出すことができる。
イギリスの保守党の転落や、アメリカのトランプと老いぼれたバイデンの常軌を逸した対立もまた、自由民主主義国家の解体によって引き起こされた内部の負のダイナミズムから生じたものである。フランスのメディアの取材では何度も述べてきたが、西洋の敗北は、ロシアの勝利を意味するわけではない。それは、宗教面、教育面、産業面、道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結なのだ。