日本は、ドイツ以上に2つ目の「西洋」、つまり「自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋」に属している。しかし日本もまた危機に直面している。この点に関しては同様のことがロシアにも中国にも言えるが、非常に低い出生率がそれを示している。日本はドイツと同じく、NATOが崩壊することでアメリカの支配下から解放されるだろう。しかし日本はそれによって、韓国とともに、中国と独力で向き合わなければならなくなる。
ユーラシアの西側におけるNATOの崩壊が引き起こす日本の状況については、今後私もコメントを求められる機会が訪れるだろう。しかし今すぐに言えるのは、アメリカとの関係にはかなり慎重になるべきだということだ。アメリカが同盟国として信頼性がかなり低いことに今日のウクライナは気づいているわけだが、日本にとっては、中国との地理的な近さがアメリカとの同盟を必要不可欠にしている。ロシアは(NATOの馬鹿げた言説とは逆に)ヨーロッパにとって脅威ではない。それは日本にとって中国が東アジアの脅威であるのとは異なる。
脱西洋化が進むと「日本の立ち位置」はどうなる?
最後に、これから脱西洋化が進むと思われる世界の中での日本の立ち位置について、短い見解を述べておこう。
西洋は、ロシアに制裁を科すことで、世界の大半から拒絶されていること、非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」や、進歩的というよりも非現実的な「社会的価値観」によって、自らがもはや「その他の世界」を夢見させる存在ではなくなったことに気がついた。中国だけではなく、インド、イラン、サウジアラビア、アフリカも、結局はロシアの「保守主義」、そして「国民国家の主権」というロシア的な考え方(もちろんそれは、ロシアの歴史の一部と考えられているウクライナに適用されるわけではない)をより好むようになったのだ。
この戦争において、「多極的な世界」というロシアのビジョンは、西洋が中心となる「均一な世界」というビジョンと対立している。西洋モデルの政治的観点からすると、均質的であるべき世界──リベラル、資本主義、LGBTなど──の覇権的中心地はアメリカだ。
私は、日本の地政学的文化の深い部分では「諸国家はみな同じ」というビジョンは受け入れられないのではないかと考えている。「均一な世界」というアメリカのビジョンは、日本的観点からすると、敢えて言えば「馬鹿げたもの」だからだ。日本には、「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、むしろ「それぞれの国家の主権」というロシアの考え方の方が日本の気質にも適合している。
実際はドイツでも、「すべての民族は同じ」という考え方は馬鹿げたものと見られるだろう。ドイツでは「すべての民族は同じ」という考え方は表面的に受け入れられているだけなのだ。受け入れることで、第二次世界大戦における自らの人種差別的な残虐行為を忘れることができるからである。日本では私が考えるに、「独自の歴史」という感覚は「本能的」なもので、しかも「リアル」なものだ。
西洋の敗北は、日本が「独自の存在」としての自らについて再び考え始める機会になるはずである。さらに、日本が西洋の一部としてではなく、ネオリベラルの極西洋(アメリカ、イギリス、フランス)と「その他の世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなるはずだ。
(大野舞訳、 『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』より「まえがき」を全文転載)