〈2021年夏。2022年秋に決行した為替介入の序章はこの頃に遡る。私が財務官に異動した前後だ。数か月前に緊急事態宣言が全面解除されるなど、新型コロナウイルス感染症の流行も収束に向かっていたが、世界経済はその後遺症に苦しみ始めていた〉

“令和のミスター円”と呼ばれた神田眞人前財務官(2025年2月にアジア開発銀行総裁就任予定)が、為替介入に踏み切るまでの心境を、初めて自らの手で綴った。

“令和のミスター円”と呼ばれた神田眞人前財務官 ©文藝春秋

為替介入を想定せざるをえなくなったワケ

 日本が為替介入するのは、実に11年ぶり。東日本大震災、ギリシャの財政危機を契機とした急激な円高がもたらされた2011年以来のことだった。円買い介入に至っては、20年以上行われていなかった。そのため、為替介入を「伝家の宝刀」と呼ぶ経済メディアもあったほどだ。

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 そのような状況のもと、神田氏が為替介入を想定せざるをえなくなったのは、欧米におけるインフレの急速な悪化が現実味を帯びてきたからだった。

為替介入の指揮官として注目を浴びた神田氏 ©共同通信社

〈世界中でサプライチェーン(供給網)の混乱が続き、各国では財政による家計支援がもたらした過剰貯蓄もあって、ペントアップデマンド(ロックダウンなどで買い控えていた需要)の発現によって消費の増加も始まっていた。一部の理論家は労働力不足による賃金上昇の可能性を示唆していたし、北海の洋上風力発電の不調でエネルギー価格が上昇し、インフレを悪化させるといった説もマーケットで聞かれた。欧米のインフレが急速に進みはじめたことに警戒せざるをえなかった〉

 インフレを抑えるための米国の利上げが予想され、それに伴ったドル高・円安がいまにも進行しそうな気配が漂っていた。

急速な円安は「大変な影響を与えかねない」

 長年の経験と知見から、神田氏は為替市場の成り行きに目を光らせつつ、静かに次の段階へと行動を移していった。

〈日本のように輸入取引の8割近くが外貨建ての国では、急速な円安になれば、輸入物価が急上昇して国民生活や企業活動に大変な影響を与えかねない。

 2021年初秋から国際会議の度に欧米当局や国際機関の要人と、早めに、かつ、ゆっくりと利上げしてインフレを抑えなくて大丈夫だろうか、と意見交換しつつ、万が一の時には、為替市場で必要な行動をとることは正当化されるのではないか、という議論を恐る恐る開始した〉