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昭和39年8月17日端島破中卸九片で自然発火が発生した。懸命の消火作業にもかかわらず、17、19の両日の再度にわたるガス燃焼もあって、やむなく消火のため八片以深の稼行区域全部の水没に踏切った結果、出炭ストップという重大事態に立至った。もともと八片以深は海面下940mで地熱も高く、自然発火のおそれが多かったところであったし、また22~23t(トン)という低能率が問題となっていたので、この機会に思い切って水没箇所は放棄し、前記の三ツ瀬区域(編集部註:同じ端島内にある)の開発に全力を挙げることになった。そして三ツ瀬工事完了まで約1年2か月の出炭の空白を余儀なくされた。なお水没箇所に対しては、関係当局の指導と援助を得て閉山交付金が交付された。

事故発生時の報道では、全国紙より地元の長崎新聞が詳しい。事故当日の1964年8月17日の夕刊で、「坑内でガス燃焼 西彼端島 10人が軽いやけど」といち早く報じている。

端島の保安要員10人が大ヤケドを負い、病院に運ばれた

翌18日の朝刊では、写真入りで続報を展開し、保安要員のケガは軽症から重症に訂正されている。

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盆休みの終わった17日昼前、西彼端島炭鉱の坑内で石炭層が自然発火。充満したガスがごう音とともに燃えひろがり、保安要員10人が全身にやけどをして重傷を負った。

同日午前11時40分ごろ、西彼高島町端島、三菱鉱業高島鉱業所端島抗(松倉慶次鉱長)の坑口から約三千メートルの九片七目貫きと八目貫きの沿層坑道で、同鉱の抗務課長代理、稲池昭雄さん(42)ら保安要員10人が自然発火した石炭層に注水作業中、突然ごう音とともに火が燃えひろがり火と煙に包まれた。

近くでごう音を聞きつけた鉱員がただちに救出作業をして同日午後0時半ごろまでに全員を助け出し、同鉱付属端島病院に運び込んだ。稲池さんらは酸素吸入、血清注射などの手当てを受けているが、10人とも全身に第二度火傷と打撲傷を負い2週間から3週間の重傷。また坑内にはこのほかに鉱員94人と下請け鉱員30人がいたが無事だった。