大阪・中津の在日韓国人地区で生まれ育ち、喧嘩に明け暮れアウトローの道へと突き進んだ許永中。イトマン事件、石橋産業事件で暗躍し、「闇社会の帝王」「戦後最大の黒幕」と呼ばれた。

 ここでは、そんな許永中の波乱万丈な人生を綴った『許 永中独占インタビュー「血と闇と私」』(宝島社)より一部を抜粋。彼のヤンチャすぎる学生時代のエピソードを紹介する。(全4回の3回目/4回目に続く)

写真はイメージ ©Tomoharu_photography/イメージマート

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「腹を刺された」ツレと歩いていたらいきなり襲われ…

 出会い頭の事故のような事件が起きたのは、昭和41年5月、大学2年生の春だった。

 場所は、北新地の裏通りにある地元でも有数の“魔窟”で、多くの飲食店や事務所がひしめき合って並んでいる通りのはずれで、街灯はろくになく、夜になると先導されなければどこに何があるのかわからないようなところだった。

 当時は、毎晩のように親しくしていたツレと飲み歩いていた。

 彼は兵庫県西宮市に本家がある老舗組織の2次団体の組員で、一回り年上の気のおけない男だった。彼の事務所はすぐ傍にあり、売春と覚醒剤を主に収入源とする小さな組織だった。彼と落ち合うのはいつも深夜で、その日、人通りが少なくなった深夜、彼の誘いで知り合いの店へ向かっていた。

 暗がりから声がかかった。

 「コラ! ようもオレをコケにしくさったなっ!」

 怒号を上げるなり、男はツレに体当たりをしてきた。声を上げて、ツレはその場に倒れ込んだ。 

 腹を刺された。

相手の髪をつかんで、執拗に頭を地面に打ちつけ…

 許はすぐに反応して、男に体当たりをして頭突きを入れて倒し、もみ合いになったが、すぐに相手の髪をつかんで頭を石畳の地面に打ちつけた。「ツレが刺された」その一念で頭に血が上った許は、執拗に頭を地面に打ちつけた。やがて男はグッタリして、動かなくなった。

 薄明かりの中、ダランとした男の手からキラリと光った刃物が落ちた。血の臭いが立ち込めていた。

 刺されて倒れたままのツレに声をかけた。

「どこを刺されたんや」

「オレは大丈夫や、永ちゃんは?」

 その一言で我に返った。冷静になってきた。男の頭部から血が流れ出ている。許はこのあとの展開を考えてみた。なるようにしかならない。そう覚悟をした――。人生とはそういうものなんだ、と悟った。