大阪・中津の在日韓国人地区で生まれ育ち、喧嘩に明け暮れアウトローの道へと突き進んだ許永中。イトマン事件、石橋産業事件で暗躍し、「闇社会の帝王」「戦後最大の黒幕」と呼ばれた。

 ここでは、そんな許永中の波乱万丈な人生を綴った『許 永中独占インタビュー「血と闇と私」』(宝島社)より一部を抜粋。彼のヤンチャすぎる学生時代のエピソードを紹介する。(全4回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージ ©Tomoharu_photography/イメージマート

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「僕は、韓国人です」

 許が大阪府立東淀川高校に入学したときのことだ。クラス編成が発表され、第1回目のホームルームで、クラスメートが順に自己紹介をしていくことになった。

 自己紹介といっても、これといってテーマがあるわけがない。気負っているつもりはなかったが、このとき彼はいきなり自分の出自に触れた。

「僕は、韓国人です」

 わざわざ公言した。陰でいろいろ言われるのが嫌だったからだ。同じ地域で育った者も中にはいる。隠し通すことは難しい。どこかで誰かにばらされて、「向こう側」の目で見られるより、自分ではっきり口にしておきたかった。

 一瞬、教室が静寂に包まれた。そんな自己紹介をした級友は、他に1人もいない。もちろん、彼は「出身中学」や「好きなもの」や「得意なこと」も付け加えた。ただ、在日であることを外す気にはなれなかった。

 このとき、あくまで日本名の「湖山」で、韓国名の「許」は名乗っていない。愛国心うんぬんはあまり関係なかった。高校生活で余計な気を使いたくなかっただけである。

高校2年生から、毎朝10時前にパチンコ屋へ

 1年目は比較的まじめに通っていた許の高校生活は、2年目に入った頃から一挙に荒れ始める。 

 実は許には入学早々電撃的な恋心を抱いた女子がいた。第1回目のホームルームでの出自も、同じクラスになったその彼女に向かって告白したようなものであった。しかし2年になった時のクラス替えで彼女とは別になってしまう。