5月の終わり。私が改めて思ったのは、目の前にいる人たちは夢を真剣に追いかけてきて、そしてまだその途中にいるんだということ。
田中賢介選手、西川遥輝選手、松本剛選手、森本龍弥選手、浦野博司投手、清水優心選手、加藤貴之投手、石井一成選手。共通点はドラフト2位指名ということです。入団して早い時期から活躍している選手も多く、昨シーズンに関してはこの全員が1軍に名を連ねてヒーローインタビューも受けています。私は「2位」には他の指名選手とは違う感情があるのではと前から思っています。注目度の高い1位の選手に対する……というより、注目選手を取り囲む環境に対する反骨心、実力で周りを認めさせればよしとする冷静さを感じるのです。能力に甘んじない努力も目立ちます。ドラフトの「2位」指名の選手を私は気づけば注目しています。
今年のドラフト2位ルーキーは西村天裕(たかひろ)投手です。和歌山商業高校から帝京大学、社会人・NTT東日本に進み、即戦力として入団、その期待に応え開幕から1軍で右のリリーフとして大活躍です。既に初勝利も初セーブもあげていてチームに大いに貢献。マウンドでの度胸の良さと、それとは真逆の愛嬌たっぷりの表情や受け答えにファンもマスコミもすっかり魅了されています。
私が西村投手を初めて見たのは、昨年の11月の札幌での入団会見。その会場でたまたま私の斜め前に座っていたのが西村投手のご両親でした。お披露目の「35番」のユニフォーム姿の西村投手はとても緊張していて、記者からの質問に言葉を詰まらせることも何度か。その姿を心配そうに見たり、時には息子と共にうつむいてしまったり、その背中と横顔だけでお二人の愛情の深さが伝わりました。和歌山から駆け付けたというご両親に勇気をもって声をかけました。そうすると、その後お父さんから素敵な素敵なエピソードを伺うことが出来たのです。今回はそのお話を皆さんにおすそ分けします。
父が息子に贈り続けてきた言葉
キーワードは「夢」。
「夢」をいつも忘れないでいてほしい。それは自分の野球への後悔を息子にはしてほしくないという思い。お父さんもかつては野球選手でした。節目節目で父は息子に「夢」という文字の入った言葉を贈り続けてきました。
最初は和歌山商業高校2年の夏の大会前。「夢を味方に」はグラブと共に贈られました。
次は帝京大学に入学して故郷を離れる時。「必ず夢を叶えて笑顔で帰るために」。これは実はGReeeeNの「遥か」という曲の中のフレーズ。親子の絆が歌われています。夢を叶えて和歌山に帰ってこいとの思いを込めて。この言葉も後にグラブに刺繍されたそうです。
そして、NTT東日本へ。この時の言葉は今振り返ればお父さんにとって一番思い入れのあるものになりました。西村投手は帝京大学4年生の時にプロ志望届を提出しています。注目球団もありプロ入りは確実と言われていました。しかし、ドラフトの19日前の試合でランナーと交錯し左膝前十字靭帯を損傷します。大怪我だったことで、ドラフトで名前が呼ばれることはなく、更に手術も受けることになります。立ち会ったお母さんの様子を「妻は野球もういいよって感じでした……」とお父さんが言うほど大きな手術でした。でも「夢」は、NTT東日本から声がかかることで繋がります。
その時のお父さんからの言葉は、「夢なき者に成功無し 夢叶うまで挑戦」。社会人の寮に入る時に贈られました。
いま西村投手に聞くと、動きには全く問題はないけれど、手術をした箇所は感覚が失われていて、触られても何か当たっても何も感じないそうです。それほどの手術からマウンドに立てるようになるまでのリハビリは私が想像できるものではないし、理解しようとそれ以上の質問をするのは失礼な気がしてやめました。「たたいてもいいですよ!」なんて笑われても、たたけませんって。