【長谷川晶一からの推薦文】
 今季、最初の代打は『燕軍戦記』(KANZEN)の著者・菊田康彦さん。2010年シーズンから、神宮球場でのホームゲームを中心にヤクルトの取材を続けて、すでに9シーズン目。15年のリーグ制覇も、昨年の96敗も現場で見続けてきた菊田さんが満を持して文春野球に登場。愛のある温かいまなざしで綴られる名コラムをご堪能ください!

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1位:山田哲人
2位:坂口智隆
3位:荒木貴裕
4位:廣岡大志
5位:川端慎吾
6位:原樹理
7位:奥村展征
8位:田代将太郎
9位:大村孟
10位:青木宣親

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 このランキングを見てすぐにピン! と来たアナタは相当な燕党、いや、かなり重度のスワローズ中毒者かもしれない。これは栄えある(?)「スワローズイケメン大総選挙」の投票結果だ。

 実をいえば筆者には、取材をしながら心の中で「嗚呼、こんな顔に生まれたかった……」と思ったことのある選手がいる。それが8位の「マーシー」こと田代将太郎である。

 当の田代は、この「イケメン総選挙」の結果に関しては「この知名度で、しかも(ヤクルトに来て)1年目で8位になれたのは、上出来かなと思います」と笑う。確かにこの10人の中で今年初めてヤクルトのユニフォームに袖を通したのは、昨年限りで西武を戦力外となった田代しかいない。

スワローズイケメン大総選挙8位の「マーシー」こと田代将太郎

田代の心を動かした先輩からの電話

 ヤクルトといえば有名なのが「再生工場」というワードだ。黄金時代と謳われた1990年代から、田畑一也(現・ヤクルト投手コーチ)、佐藤真一、辻発彦(現・西武監督)、小早川毅彦、城石憲之(現・日本ハム打撃コーチ)など、他球団で芽の出なかった選手や、既に峠を越したと見られていた選手を獲得しては、貴重な戦力として「再生」してきた。近年では坂口智隆や鵜久森淳志、大松尚逸らがこの系譜に入るが、その最新版が田代と言っていい。

「僕、野球はもうやめようと思ってたんですよ。あんなキツい練習はしたくないし、こんな思いもしたくない。もう、いいやって……」

 昨年10月に西武から戦力外を通告された時の心境を、田代はそう振り返る。八戸大からドラフト5位で入団し、昨季はプロ6年目にして「2番レフト」で初の開幕スタメンに抜てきされるなど、自己最多の38試合に出場。プロ初打点、初盗塁、初本塁打も記録したが、シーズンでは打率.071と結果を残すことができなかった。それでも、戦力外通告はまったく予期せぬものだったという。

「ビックリしました、本当に。まさか戦力外になるとは思わなかったんで」

 あまりのショックに、一時は引退に傾いていた田代の心を動かしたのは、自身よりも一足先に戦力外を告げられていた西武のベテラン・渡辺直人(現・楽天)からの電話だった。

「『絶対まだやれるし、取ってくれるところはある。今やめたら絶対後悔するから、もったいないから、やれ!』って言われたんです。いろんな人から来たんですよ、電話は。でも、一番心に残ったのは直人さんの言葉だったんで……」

 先輩の言葉に背中を強く押され、12球団合同トライアウトを受験。「取ってくれるところはある」との言葉どおりヤクルトが獲得に乗り出し、田代は28歳の誕生日を翌月に控えて、新たなプロ野球人生を歩み始めることになった。

新天地でプレーするにあたって「キャラ変」

 年が明け、2月のキャンプは二軍スタート。だが、オープン戦の途中で一軍に合流すると、持ち前のスピードでアピールした。3月17日の日本ハム戦では、6回に代走で出場すると、すかさず二盗に成功。さらに後続の連続内野ゴロで生還するなど、4年ぶりに復帰した小川淳司監督の下でスモール・ベースボールを標榜するヤクルトにあって、なくてはならないピースとして開幕一軍の座を勝ち取った。

 ここまでの出番は、主に代走と守備固め。けっして目立つ存在ではないが、6月1日現在、全48試合中32試合に出場するなど、貴重な戦力になっている。その田代が、新天地で新たな野球人生を歩むにあたって心に決めたこと。それが「失敗を恐れないこと」、そして「今までと同じことをやってたらダメ」ということだ。

「ミスを恐れてしまったら、まったく意味がないと思うんで。僕は1回戦力外で終わってる身なんで、怖いもの知らずというか、失うものはないですから。それに拾っていただいた身ですし、今までの自分じゃダメだと思うんで」

 今までの自分を変えるため、「キャラ変」にも挑戦した。西武時代はベンチにいても積極的に声を出すことはなかったというが、今では必死に声を張り上げている。

「もともと思いっきり出しても通る声じゃないんで、大きい声を出せなかったんですけど、ちょっと頑張ってます。そこは『キャラ変』していかなきゃって(笑)」