――あくまで同棲という形で暮らしていたわけですか?
村山 はい。母と私と弟と暮らすようになり、その後、母との間に新しく二人の妹が生まれたのですが、その男性は酒乱の気があって、私にだけDVを働き始めるように。私が褒められたりすることが嫌いだったみたいで、家庭訪問で先生に褒められた後などは特に殴られました。私は口が達者だったので、それも気に食わなかったのかも。今思えば、私は亡くなった父を尊敬していたので、そうした雰囲気がおのずと出てしまい、彼は劣等感を覚えていたのかもしれません。
とことん非行に走った
――お母さんは止めなかったのですか?
村山 それが止めないのですよ(苦笑)。「どうして止めないのかな」って私も思いました。ただ、彼に対して母が何も言わない以上は埒が明かないですから、自分でなんとかするしかないと思うようになりました。楽しくないのは家だけでした。母のことも好きでしたし、学校も楽しかったのです。ですが、私が中学1年生のときにひどく彼に殴られて、私も堪忍袋の緒が切れました。鼻の形がなくなるのではないかというくらい殴られて、「もう我慢することをやめよう。真面目にするのはやーめた!」って。そこから一気に非行に走ってしまいました。私は、一度決めたら突き詰める性格なので、とことん非行に走った(笑)。豹変した私を見て、慌てて母は彼と別れてくれたのですが、時すでに遅しです。私が他の中学校へ行くと、パトカーが来て、警察官から「陽子、何しに来たんや!」って釘を刺されるくらいでしたから。
――要注意人物としてマークされるくらいだったと。
村山 自分でも弱かったなと思うのですね。真面目なままでも生きていけたはずなのに、どこかで逃げ道を作ってしまった。高校に進学したものの直ぐに退学になり、家族のために働くことを決めました。実は16歳のとき、母に多額の借金があることを知ったのですね。消費者金融の社長から、「これだけお母さんに借金があるの知ってる?」と言われて、金額を見るとギョッとしました。コツコツ稼いでいる場合じゃないと思い、大阪に行って稼がないとって。
新しい父は“ヒモ状態”だった
――どうしてお母さんは借金を? 籍は入れていないにしても一緒に暮らしていた以上、彼にも稼ぎがあったのでは。
村山 彼は働いてこそいましたが、ヒモ状態で生活費は母が捻出していたと後年知りました。といっても、母は働いていなかったので、父のわずかな遺産と、それを使い切ると借金をしていたようです。彼と別れた後も、借金をして私たちを育ててくれていた。母は何も言わないから、見かねた消費者金融の社長が私に教えてくれました。