京都・東山にて1912年に創業した料亭「菊乃井」の次期四代目である村田知晴さん(43)。京都人でもなく、料理人でもなかった村田さんが、10年間のサラリーマン生活から未知なる京料理の世界に飛び込むまでのエピソードと、その根底にある思いを聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)

©志水隆/文藝春秋

まったく知らなかったんですよ。

――京料理の老舗「菊乃井」の若主人である村田さんですが、まったくの異業種からの転身で、きっかけはご結婚だと。お料理のご経験は?

村田知晴さん(以下、村田) まったくないです。料理はつくったこともなかったです。

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――料理初心者から名料亭の厨房へ、しかも次期四代目となられることに、葛藤や迷いはありましたか?

村田 葛藤というか……僕はまったく知らなかったんですよ。妻の実家が「菊乃井」であることも、料亭という世界が存在することも、いっさい知らなくて。

――えっ。

村田 もちろん料亭という言葉は知っていましたが、行ったこともなければ、そこでどんな料理が出されて、なにがおこなわれているのか、想像したこともありませんでした。

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――「菊乃井」という店名は?

村田 ぜんぜん知らない。妻からは、「実家は京都で飲食店をしている」というふうに聞いていたので、頑固親父が一人でやっている町家の小さな居酒屋か、おでん屋みたいな感じかなと。

 頑固親父なんて言ったら、大将に失礼ですけれども(笑)。

――お義父さまのことは「大将」と?

村田 店では「大将」、家族といるときは「お義父さん」ですね。

奥さまとの出会い

――「菊乃井」といえば、2013年、和食をユネスコの「無形文化遺産」に押し上げるなど、三代目主人の村田吉弘さんによるご活躍を知る人も多いかと思います。

 そのご長女である奥さま(若女将の村田紫帆さん)とは、どのように知り合われたのでしょう?

村田 大学の同級生で、同じサークルだったんです。僕は群馬県出身で、京都の大学に進学して、初めてのひとり暮らし。彼女は、東山の実家から大学に通っていました。ただ在学中は顔見知りくらいの関係で、彼女の実家どころか、本人のこともあまりよく知らなかった。

 卒業後は、僕は大阪に本社がある商社に就職が決まり、配属先の東京でサラリーマンに。妻は実家で若女将業をスタートするわけですが、そのことも、当時はまったく知りませんでした。