嫌だったら、そもそも会社を辞めていなかった。
――村田さんの場合、それまでのキャリアを手放して、料亭の世界に入られたわけですよね。なにかを選ぶとき、なにかを手放す勇気が必要で、それはある意味すごく怖いことでもあるのかなと。
村田 これはネガティブに捉えないでいただきたいんですけど、僕は自分のキャリアを捨てるつもりはなかったので。結婚してもしばらくは、サラリーマンをやっていましたから。
結婚が決まったとき、なんとなく将来的に、妻の実家を手伝うのかなあということは察していました。ただ自分の人生は自分で選ぶものですし、僕にはサラリーマンとして、商社の営業職としてお客さんがたくさんいるし、上司もいるし、部下もいる。このまま仕事を続けようと、入籍後、会社に事情を説明してひとまず京都に近い名古屋支社に転勤になりましたが、最終的には「家の仕事を手伝う」ということで退職しました。
――どれくらいのタイミングで?
村田 10カ月後くらいかなあ。でも、よかったと思ってますよ。僕が本当の意味で(家の仕事を手伝うのが)嫌だったら、そもそも会社を辞めていなかった。
当時僕は34歳で、いずれ店を継ぐことになるのなら、なるべく早いほうがいいと思いましたし、そのときは「菊乃井」とか「日本料理」とか「料亭」がどういうものであるか、「(三代目主人の)村田吉弘」や「京都」がどういうものなのか、なにもわかっていなかった。だからできたことかもしれないです。
愛する人が幸せに近い状態でいるには、どうすればいいか
――知らない世界に飛び込むのは、怖くなかったですか?
村田 怖かったですよ。不安だらけで。どんな人がいるのかもわからないじゃないですか。存在すら知らなかった世界で、僕はなにをするんだろうって。
ただ僕はいつも優先順位を考えるんですよ。そうなると、妻の存在なんですね。彼女にとって、何がベストな状態か。何をもってベストとするかは考えにくいにしても、どうすれば彼女がベターな状況になるのか。自分が愛する人が幸せに近い状態でいるにはどうすればいいか考えたときに、いますぐ家の仕事を手伝ったほうがいいよねって、自分なりに考えたのだと思います。
――紫帆さんからこうしてほしいと言われたことは?
村田 一度もないですね。一緒にやってくれとも言われないし、店に入ってくれとも言われない。いまだになんにも言われないです。
撮影 志水隆/文藝春秋
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