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ひょうろく 何も考えがなくて、ほんとに世間知らずでした。父がサラリーマンだったし、自分も大人になったらサラリーマン以外の選択肢がありませんでした。

 僕は、生き方や将来に興味がなかったんだと思いますね。流されるまま。いつも「まあ、なんとかなるよ」って。高専卒業後は、遠くに行ってみたいなと思って、関東を目指しました。関東ならどこでもよくて、千葉にある建築関係の会社に勤めました。

「東京の人が全員芸能人に見えた」

――初めて親元を離れた生活は、大変だったのでは。

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ひょうろく そうですね。社員寮に住んでいたのですが、ホームシックにもなりましたし、東京の人が全員芸能人に見えて。「うわ、すげえ」って。

――会社員生活はどうでしたか。

ひょうろく 僕は頭の回転が速くないので、いつも“詰んで”ました。

 わからないことを丁寧に教えてもらっても、全然わかんない。仕方がないので、「はぁ」ってわかったふりをして、自分の席に戻って「どうしよう…」って、毎回詰んでる。

10~20代の頃は苦労ばかりの人生だった ©山元茂樹/文藝春秋

――どうするんですか。

ひょうろく なんとかするしかないです。でもわかってないから、「ここ違うよ」って言われて、それを直して…という繰り返し。本当に足手まといだったと思います。

――仕事を辞めたいとは?

ひょうろく 辞めたいはなかったです。思い返せば中学や高校の勉強もついていけている感じはなかったので、まぁずっと挫折してる状態ではあります。ただ、辞めるという選択肢が自分の中にないだけといいますか。

――継続力があるタイプですか? バレーも13年やってましたし。

ひょうろく 全然そんなことないですよ。趣味も、やってみて飽きるパターンは結構多いです。たとえばペンで机を叩く“ペンドラム”がかっこいいなと思ってやってみたんだけど、途中で挫折しちゃった。なんか一つのことにハマりきらなくて、ずっと何かにハマりたいと思ってます。

――芸人の道に入ったのはいつですか?