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ひょうろく 会社員生活4年目のときに、高専時代の同級生(橋口ひとし)に誘われて、コンビ(ジュウジマル)を組みました。それまで、お笑いや芸人さんの知識はまったくなかったんですけど、楽しそうだしいいかなっていう。基本的に、どんなことも少しでも興味を持てたらやってみようというスタンスなんです。

――即決?

ひょうろく そうですね、その場で。特にいろいろ調べたり、誰かに話を聞いたりはしませんでした。相方がなぜ僕を選んだのかはわかんないです。

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ユニークな芸名の由来

――「ひょうろく」という芸名の由来は?

ひょうろく 芸名が欲しいなと思って、最初は自分で考えた「ルミ」っていう名前にしたかったんですけど、(最初入った事務所の)浅井企画さんで、全員に反対されて。

 たまたまそこにいた作家さんが「兵六餅」っていう鹿児島のお菓子をお土産に持ってきていて、それで「『ひょうろく』でいいんじゃないの」という話になり、決まりました。

――ご両親に芸人になることを報告した時の反応は、どうでしたか?

ひょうろく 驚いて無言というか。絶望した顔で「なんであんたが」って。なんと答えたかはあまり覚えてないですけど、「まあまあ、なんとかなるよ」って返したかな……。

――芸人生活になって、収入面も激変したのでは。

ひょうろく 会社員時代は年収400万~500万で、普通に生活はできていたんですけど、芸人になってからは、生活費はほとんどアルバイトでまかなってました。バイトが9.5割みたいな。いろんなバイトをやりましたよ。マッサージとか、カフェ店員とか。

――実際どうでしたか。芸人になってみて。

ひょうろく こんなに面白い人が多いんだっていう。自分も頑張んなきゃとは思うんですけど、相方が全部ネタを書いて、出るライブも決めてくれて、僕は頑張り方がわかんないというか。結局何もしないまま……。

 楽しかったんですけど、ずっと難しさは抱えていて、「お、手応えあったぞ」っていうのは感じられないまま、ある日相方から、「地元に帰る」って話があって。

――それまでにそういった話が出たことは?

ひょうろく 解散の話が出たことはないです。でも相方は何年か前に結婚して、奥さんは鹿児島にいて、自分は東京という生活だったので、コンビも長くはないだろうなとは思っていました。

 ただコンビ結成時からずっと、相方には「2人で食べていけるようになりたいけど、僕から辞めようと言うことはないから、辞めたくなったらいつでも言ってね」とは伝えていたんです。

ブレイクのきっかけは…? 後編に続く ©山元茂樹/文藝春秋

――ピンになり、さらば青春の光のYouTubeによく出演するようになっていますね。

ひょうろく 実はピンになる前に、さらばさんの事務所にお伺いしたことがあります。でもアポなしだったので、お会いできなかったという…。

――何を相談するつもりだったのでしょう?