1ページ目から読む
9/9ページ目
だが私は、これらの言葉が好きではない。これらの言葉は、親を加害者、子どもを被害者と規定している。そのことに間違いはない。だが、被害者は弱者である。そこには「かわいそうな者」というニュアンスがある。アダルトチルドレンは、「かわいそうな子ども」だ。
私は自分が、かわいそうな子どもだったとは思わない。親のせいでひどい目にあったことは確かだし、そのせいで愚行を重ねたことも事実である。だが、私の愚行は、すべて抵抗であった。戦い方がわからなかったので自分を痛めつけ、体にも心にも生涯消えることのない傷を負った。だがその傷は、押し付けられた人生を拒否しようとして、死力を尽くして戦った証である。どれほど愚かしい戦いであろうと、それは「被害者でいることに甘んじるつもりはない」と、もがいた私の足跡である。
どんな親の元に産まれようと…
多くの子どもたちが、いまも勝ちが見えない戦いに挑んでいる。その戦いによって、身を亡(ほろ)ぼす子どもは少なくない。大人になっても、消えることのない痛みや歪みを抱えて苦しむ者もいる。だが、どんな親の元に産まれようと、被害者であることから抜け出すことをあきらめてはいけない。
親や世間に抗いながら生き延びた私の経験が、生きづらさを抱えて苦悩する多くの者たちにとって、少しでも役に立つことを願っている。
ここまでのことは、『ねじれた家 帰りたくない家』(講談社刊)で詳しく書いた。2003年に出た本なので、もう書店にはない。もしかしたら古書店にはあるかもしれない。読んでやろうと思ってくださる方は、お探しいただければ幸いである。
原田 純(はらだ・じゅん)
径書房代表
1954年、東京生まれ。編集者。15歳で和光学園高校中退。1980年、長女出産。1989年、径書房に入社。竹田青嗣氏に師事。現在、径書房代表取締役。著書に『ねじれた家 帰りたくない家』(講談社)、岸田秀氏との対談『親の毒 親の呪縛』(大和書房)、『ちつのトリセツ 劣化はとまる』(径書房)『人生最高のセックスは60歳からやってくる』(径書房)がある。
径書房代表
1954年、東京生まれ。編集者。15歳で和光学園高校中退。1980年、長女出産。1989年、径書房に入社。竹田青嗣氏に師事。現在、径書房代表取締役。著書に『ねじれた家 帰りたくない家』(講談社)、岸田秀氏との対談『親の毒 親の呪縛』(大和書房)、『ちつのトリセツ 劣化はとまる』(径書房)『人生最高のセックスは60歳からやってくる』(径書房)がある。